プラス思考の作り方

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以前、眠れない日に起き出してテレビをつけたら、全英女子オープンゴルフをやっていた。
日本の選手が健闘していて、それを評してアナウンサーが「彼女はアメリカでメンタルトレーナーについていますから」というようにコメントをした。
私は大学時代から継続してセラピーというか、心理学とか精神医学の勉強を続けているので、メンタルトレーナーの友達もいる。
それで、メンタルトレーナーがどういう指導をしているのか薄々わかる。
何でもよい方向に考える時間を持つ、ということだ。
毎日全部の時間を楽観で過ごすと、ちょっと危ない。
それは危機管理ができないということだから。いわゆる能天気とか、ただの軽薄のたぐいになってしまう。

プラス思考という言葉が流行っていて、悪いことは考えないことだと勘違いされているが、本来のプラス思考とは、すべてを見通した結果、今ある危機に関する対処能力が備わっていることを確認する、確信する、という意味なのだ。
ゴルフでいえば、練習でちゃんとこなしてきた悪条件を、試合だからといって失敗しかねないと思い込む、その感情を正当な道に戻しましょう、というのがメンタルトレーニング。
実生活でも、いつもなら難なくできることが、大勢を前にしたり、ここぞというときに限って力みすぎたり、考えすぎて失敗することがある。これは予期不安といって、失敗することを恐れるあまりにすくみ上がって、通常の力が発揮できない状態に陥ること。
けれど、予期不安がない場合でも、大丈夫と思って始めたらこけることがある。
こちらは、予測の不当性だ。

歌の指導をしていて「人前で上がらないで歌う方法」を訊ねられることがある。
これは難しい。慣れていても突然上がることもある。
逆に上がらないのでぼんやり歌って失敗することもある。
私は歌う前に少し緊張するが、歌っているときは楽しく、歌い終わるとその緊張が興奮になって残っている。やはり、いつもの集中とは別のテンションになっているのだ。
ただし、そのテンションがないとちゃんと歌えない感じだ。

その感じを蓄積していくと、自分にはこの程度ならこなす能力がある、という体験が内在化される。そこまでくるとよほどのことがない限り、滅多に失敗しない。
センシティブだと、少しの狂いで失敗するけれど、そのリスクはとらないと。環境の取り入れ、つまり観とりや聴き取りができていないという態度に陥ってしまう。

そこで、プラス思考だが、これもかなりの訓練をする。
まずは、リスクをとらなくてはならない現実があり、それに対して意想外の失敗をした経験があり、それを悔しいと思っている、という前提が必要だ。
ここまで勝負をかけない人生なら、トレーニングしても、あまり意味はない。
必要のない対象に高度なトレーニングは体や心を壊すもと。そもそも必然がない。

メンタルトレーニングや、高度なレッスンは高額だが、それにも意味があり、それをする以外に自分が成長する、あるいはスランプを脱出する場がないと確信した人には、決して高いものではなくなるのだ。
その必然のある人々は希少だし、トレーナーも大変な集中力を使うから、どうしても高額になる。
受ける側の人も、高額だからこそ真剣に取り組む。
人は正直なものだ。

プラス思考を取り入れるのは大切。
とくに、リスクをとる人たちの正しい判断のために。
けれどそれはただ、青い空がきれいだなぁ、という心持ちとはだいぶ違っている。
プラス思考の底部には、反転すると大失敗となる、あらゆる可能性が横たわっている。
意に反してそれらの、あらゆる失敗が起きてなお、そこからプラスを取り出す自信が、正しいプラス思考だと言ってもいい。

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このページは、kyokotadaが2012年10月25日 11:26に書いたブログ記事です。

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