少し回復

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うつろな感じが少し減じて、現実感が回復してきた。
もしかして地震がくるのかな、とちょっと心配していた。
前方が霞んで、無いかのように感じられていたのだ。
だから地震でないのなら、自分が倒れるとか。

もう少し若いときには、近い将来のことがとてもクリアに計画できて、結果に至る道筋なども明確に描くことができた。
最近、それが薄い。
年齢のせいもあるし、体力が落ちたせいなのかもしれない。
若い頃に考えられていた計画は、今となってみるとやりこなす体力を前提としていたことに気づく。今、かつてと同様の計画を考えても、体力や気力がそこまで保たないと分かる。

その、衰えた結果の体力や気力の量に、まだ自分が慣れていないのかも知れない。
かも知れない、と書いてみて、いやいや、それともちょっと違っていたな、と分かる。

空しい、虚しい感じは、ずいぶん多くの淋しさを含んでいた。
哀しい気分でもあった。
孤独というよりは、悼む感じ...と言うか...。

その時、期せずして何かの深淵を感じてしまっていたのかも知れない。
何か、とは人生とか人とか命とかなのだろう。

私は自分にあまり意味を持たせたくない。
人生にも意味や意義を持たせたくない。
いるようないないような存在で、ふと気づくといなくなっていた、というようなあり方が好ましい。
どうしてだろう。
また考えなくちゃ。

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このページは、kyokotadaが2012年10月27日 17:19に書いたブログ記事です。

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