音楽: 2011年6月アーカイブ

久々、ZoolooZ。
今日は2曲。
震災直後から書き始めたことと、個人的なあれこれがあり、何となくお母さんがらみの話が多くなった。自分もお母さんだし。

Our Home 松下誠 作曲

長い道のりを歩き続けると、やがて私の家が見えてくる。

産まれた家。

旅立った家。

帰りたい家。

自分が安心していられる家がどんなものかをちょっと考えた。



10.Our Home

 

 かおるさんは、いつもと同じように生成のニットを着て、午下がりのダイニング・テーブルに座っていた。

 ダイニングはしんと静かだ。

 下宿人たちが田舎に帰る春休みだから。

 僕がただいま、と声を掛けると、かおるさんはハッとしたようにこちらを見た。

「あらら、ぼんやりしちゃったわね、ぼうちゃんが帰ってきたのにも気がつかなかった」

いつもなら、ぼっとしているのは「ぼうちゃん」こと僕の方で、かおるさんはひたすらてきぱきしているのだ。

 あぁ、と僕は曖昧で意味もない返事をした。

 僕は、工夫する余地もなく、会話という実技に於いて、本当に気が利かない、芸のないタチの男なのだ。もしこれが下宿仲間で一番如才ない蒲田先輩だったりすると、すかさず「かおるさん、何か気になることでもありましたか」くらいは言い、さり気なくテーブルについてお茶を出してもらい、かおるさんの孤独の分け前を受け取ってあげたりできるのだ。

 かおるさんには子どもがいない。その上、数年前にご主人を亡くして、天涯孤独になった。

 一人暮らしになって数年経った頃、頼まれて旧友の息子を預かった。進学した大学がかおるさんの住む町にあったからだ。初代の下宿人は、岐阜の田舎からやってきて、二年間おばさんの世話になり、やがて恋人と同棲するために下宿を出てアパートを借りた。その友人のひとりに、他でもない蒲田先輩がいた。

 

 かおるさんと亡くなったご主人は、ともに建築に興味があった。かおるさんは若い頃、新進気鋭のインテリアデザイナーの設計事務所で事務の仕事をしていたし、亡くなったご主人は、その事務所に出入りするメーカーの販売業者だったそうだ。

 子どものできなかった二人は、自分たちの暮らしを充実させる道として、この家を建てることに熱中した。共働きして貯金をし、雑誌を見ながらどんな家に住みたいかを語り合った。知り合いの業者から情報を仕入れては設計者や工務店を選びに選んだ。それからさらにあらゆる業者とディスカッションを重ね、設計の発案から5年をかけて完成させた。

 かおるさんはその頃のことを、それはそれは楽しい毎日だったと、酔う毎に話してくれる。ご主人のことよりも、設計した建築士さん、大工さんたち、左官屋さん、庭師、内装を担当した工務店の若いモンなんかの話題が多かった。

 ご主人は、この家で半年暮らし、心筋梗塞で呆気なくこの世を去った。その死は予定よりもよほど早かったので、かおるさんの心にも、新築の家にも亡くなった人のための場所など無かった。それで、かおるさんが大切にしているフランス製のアンティーク・オルゴールを置くための棚が、仏壇の場所となった。

 そこに来たのが、岐阜に住むかおるさんの友人の息子。会ったことはないが、蒲田先輩の話だと、少しも意地の悪いところのない、面白味のない性格のヤツなのだそうだ。

 やがてかおるさんは、下宿人と暮らすのも悪くない、と思い始めた。日頃は一時的な息子たちの食事の準備をすることに随分疲れてしまうのに、いざ夏休みやお正月になってみんなが実家に戻ってしまうと、途端に気が抜ける。解放された時間にも二日で飽き、やがて淋しくなってみんなの帰りを待ちわびるようになる。

 蒲田先輩は、かおるさんが人の世話のできる人だと見ると、お見合いと称して色々な友人を連れてくるようになった。その幾人かが、下宿するまでに至るわけだ。今では僕を入れて4人の下宿人がいる。

 「みんな芯から個性的でね、並じゃないっていうか。人様の子だからまだしも、これで私の本当の子どもだったら耐えられないわね、きっと」

 かおるさんはいつも、苦笑い半分、迷惑半分といった顔つきで言う。

 確かに、蒲田先輩が連れてくる下宿人たちは、かなりの変人揃いだ。

 大体、僕達全員が美大生だという前提で、すでにかなりダメだ。

 美大生は、人と自分が違っていると思うから、美大に行こうとするのだし、また逆に、美大に行くからには、美大に来ている変人たちに比べてもなまなかなことでは負けない程の変人であらねばならない、とも思っている。

 蒲田先輩は、如才ない口ぶりとはかけ離れた、長髪、髭、ヘンな服という70年代ヒッピー風スタイルだし、その次にここに来た芹澤君は、スキンヘッドに作務衣を着てカンカン帽なんか被るし、その次の山下さんは3浪して芸大だけど彫刻なのでいつも作業着を着てバイトに明け暮れている。僕は一応80年代のテクノカルチャー追随型なんだけど、ちょっと詰めが甘いので、時々スピッツのマサムネに似ていると言われたりもする。

 

 かおるさんは、ひとりでぼんやりとしていた。椎の木の一枚板で作ったダイニングテーブルに天井の明かり取りから射す西日が落ちている。

 いつもならこんな時、お茶でも入れようか、と誘ってくれるのに、かおるさんは、ただぼんやりとしていた。僕はその様子が気になって、しばらくテーブルの脇に立ち、取り込んできた夕刊の見出しを眺めていた。

「ふと思ったんだけれど...」

そこまで言って、かおるさんはまた黙った。

「わたし、いくつまでみんなのご飯が作れるかしら」

「あぁ」

 僕には、どのような返事をするのが良いのか解らない。そういう話題は、蒲田先輩に振って欲しい。

「さっき、電話で蒲田君から...」

 蒲田先輩のお母さんが亡くなったと言う。

「みんなが卒業しても、お嫁さんをもらうまで、ご飯を作っていたいな」

 かおるさんは、涙声で言う。

 僕は夕刊を持ったまま、まだテーブルの横に立っている。

 蒲田先輩は、ヒッピースタイルのまま喪服を着るのだろうか。

 髪の毛は、結ぶかアップにした方が良いだろうな。

 僕は、自分が随分つまらないことを考えているのに気づいてびっくりした。

 かおるさんは、ゆっくりと立ち上がると、床から新聞紙に包まれたままになっていたほうれん草を取り上げ、それから勢いよく水を出して、じゃぶじゃぶ音を立てて洗い始めた。



おまけ


レコーディング終了後に、1曲ぐらい歌おうよ、ということになり、レイ・チャールズ追悼で選んだ。

アレンジは、ライブ用のもの。

最近、ジョー・コッカーのカバーがお酒のコマーシャルに使われている。

この歌詞は、ブラック・ミュージックの常套、「惚れた方がお願いしまくる」内容なのだが、私が歌うとなぜか「孤独」に焦点が当たってしまう。


11.Unchain My Heart

 

好きにならずにはいられない、というラブソングがあった

でも、私はいつも、好きになられてはたまらない 

 

できれば、放っておいていただきたい

無視を決め込んでいただきたい

見て見ぬふりをしていただきたい

 

なぜならあなたが少しでも

私の目を見て笑ったり

私の声を聞きたがったり

私と一緒にいたがったりすると

私はものすごく困るはずだから

 

好かれることに馴れていないから

私はそわそわしてしまう

こんな粗末な者で良いのかと

不安の固まりになり果ててしまう

 

だからお願い

心をつかみ取らないで

心をつかみ取らないで

ZoolooZ 第9曲目

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本日は、ZoolooZ 第9曲目

『歩こうよ』  加藤崇之作曲


この曲のリズムは私が決めた。

はじめは普通の8ビートだったのだが、歩くならマーチでしょ、ということになり、エンディング用に全員でスネアを叩いたりもしてみた。

太鼓を叩く人数がだんだん減っていって途切れる、という反戦的な終わりを夢見たが、エンジニア福島にあっさり却下された。第1次大戦後のヨーロッパ映画の雰囲気が欲しかったのだが...。


従って、気を取り直して池上線の商店街などを思い描いてみた。

古い店はこれからどんな風に変わっていくのだろう。

私の知る日本は、これからもまだ、少しは残っていくのだろうか。


9.歩こうよ

 

商店街が好き。

入り口に、春は桜、秋は紅葉のビニール飾りをなびかせる商店街が好き。

私の家から五分歩くと橋があり、その橋を渡ったところから駅まで、素敵な商店街が続くのだ。

駅前のアーチには「銀河商店街」とある。銀座じゃなくて銀河というのがすごい。宇宙の銀河かと思ったがそうではなく、銀座河下の略なのだそうだ。

 

駅前のアーチをくぐるとすぐにお茶屋さんがある。ほうじ茶を煎る良い香りが漂う。抹茶アイスのソフトクリームを宣伝する幟。

和菓子屋は、これから商店街を通って知人宅を訪問する人々のために、名物の「ようこそ饅頭」を売っている。五個入り六百円、十個入りだと千二百円。

書店は、禿の爺さんとオタクな孫が店番。爺さんは咳をしながら万引きを見張り、オタクな孫はガムを噛みながら漫画を読み耽っている。

破格に安い輸入衣料品店。キャミソール290円はベトナムものか。結構可愛いが、洗濯できない。

お腹が空いているときは、次の肉屋でコロッケを買い、ソースをたらしてもらう。小判型でなく、俵型でもない、アーモンドのでかいみたいな形。じつは、私はコロッケよりここのウィンナーが好きだ。

八百屋には、声のでかいおじさんが居る。おじさんカラオケ好きかな。唸る演歌に向いた声だ。野菜はいつもここで買う。でも、おじさんが耳のそばで喚かないように注意しないとならない。

最近できたコーヒー豆専門店では、1回に100グラムずつ挽いてもらう。香りが飛ばないうちに、次の新鮮な豆が買える。今日は、キリマンジャロにした。

定食屋は、ショウガ焼き定食と挽肉オムレツが美味しい。上の窓からはいつも鯖を焼くけむりがもうもうと出ている。

酒屋には背の小さいおじさんが居る。いつも重いものを持っているから小さいのかな。でも、きっと力持ち。

蕎麦屋は昔から汁がしょっぱい。色は醤油色。うどんは煮染めのようになる。それでも、いつも結構人が入っている。謎だ。

花屋には私の中学の同級生がいる。高校を出て2年目から自分の家で働き出した。少しの間、青山の有名な花屋さんで働いて、それからパリにも行っていたらしい。銀河商店街にはエレガントすぎるかな、と心配したけれど、ネット通販を始めて、アレンジとかがよく売れている。

商店街の道幅は、車が一台通れるくらい。車と自転車と人が合わさると、いっぱいな感じだ。道路は、横断するというより、斜めに歩いて渡る。

ジグザグ ジグザグ。

豆腐屋は、この商店街では有名な店で、木綿、絹の他に、湯葉、豆乳、がんもどき、薄揚げ、厚揚げを買い求める人がいつも並んでいる。テレビの番組で紹介されたのが契機だそうだ。実際とてもおいしいので、近所の人たちは、朝のうちに予約を入れておき、帰りがけに受け取って帰る。

時々立ち寄る喫茶店は、閉店したスナックの後に、お茶屋の嫁さんが開いた。クリームイエローのドアに赤と緑で「グリーンフィールド」と書いてある。イギリスとかカナダっぽい趣味。けれど嫁さんは名古屋出身らしい。それでメニューにパンケーキがある。クリームチーズを蜂蜜で練ったフィリングが人気。

商店街はまだまだ続く。毎日、いろんな店を見て歩き、時々立ち止まって店の人たちと話し、ちょこちょこ買い物をする。

商店街を歩く家までの30分間、私の心には楽しいマーチが鳴り響く。

歩こうよ、歩こうよ、歩こうよ。

私はこの街が大好きですよ。

 

Zoolooz 第8曲目

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本日は、ZoolooZ 第8曲目 『望郷』
馬子唄かな、と思い。

作曲 多田文信

夫は、岩手県花巻市出身
言わずと知れた、宮沢賢治の故郷。
子どもたちを連れて、何度も訪れた。
賢治記念館、花巻温泉、南部曲がり屋、遠野...。

震災で東北が痛んでいる。
東北の人々は、力強く、我慢強い。
愛情深く、面倒見が良い。
東北の人には、ついぞ騙されたことがない。

この曲『望郷』は、花巻に捧げられている。
だから、詩にした。
 

8.望郷

 

 風が凍っていた。

冷気はすべての頬と指先目がけて集まり、

溜まったままとどまり、

やがて痛みに変わって心を苛んだ。


 風は細かな針のようにきらきらと輝いて、

心ない踊り子のように吹く風の形に舞い、

苛立つと渦巻いて駆け上がり、

そのまま次の村まで流れて行く。


 地吹雪は、脛を凍らせる。

鼻から猛然と白い息を吐く馬の踝と膝を凍らせる。

馬橇は馬の力に運命を託し、

ひっそりと厚い毛布にくるまって座りこむ母娘を曳いて行く。


 田舎は、かつてそんな風だった。

 冬の間、

吹雪は絶え間なく地平を覆い、

容赦ない冷たさと激しさで人々の行く手を遮ったものだ。

 秋の終わりに急いで仕込まれる干した野菜と塩漬けの野菜。

干した魚と塩漬けの魚。

 

 寡黙で勤勉な馬だけが自然の中で人の味方のように思われた。

 だから南部曲屋では人の続きとして馬が養われた。

 馬と神は続いていて、

恩寵を忘れるとすぐに召し上げられる。

 伝説で馬は妖精となって、

女を連れ去る。

 

 故郷では己の無力が自覚された。

 自然の中で無邪気を究めようとすれば、

何を成し遂げる暇もなく、

ただ無力を抱いて死ぬこととなる。

 無邪気は甘い蜜の味。

 けれど、

大人の陰に隠れる限り、

己の冬は越せない。

 

 誰もが日々、山の機嫌を窺い、

森の意向を探って恐る恐る暮らしている。

 自然の中で、人は自分が一人の歩哨でしかないことを、

神に祈るという担保なしには

勇気すら抱けない歩哨であることを突きつけられる。

 

 橇は、深雪の上を滑るように進む。

雪に埋もれる馬の脛は、力一杯引き上げられ、

次の深雪に向かって投げ出される。

 その絶え間のない苦闘。

 

 私は謙虚にも、

はじめは馬と同等になることを、

その絶え間ない苦闘を受け入れる精神を養うために旅立った。

 いずれは、父と同等の歩哨となるためにも、

凍りつく故郷を出たのだった。

 自然は、世の果てまでくまなく地平を覆っていた。

 闘いは、どの時間にも途切れることなく続いていた。


 勝ち負けではなく、ただ生き延びること。

 生き延びること、生き延びること。

 

 そして今、私は故郷を想い、故郷を想い、故郷を想う。

 長い冬と、凍りつく厳寒に閉ざされてさらに強い、故郷を想う。



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