音楽: 2011年7月アーカイブ

レッスンの時、生徒に示唆すること。
多岐にわたって、アドバイスすること。
自分の中ではしっかりラベリングされている。
あたかも、頭の中に色のついた引き出しがあるかのよう。
生徒に
「どうすれば、今のサジェスチョンを自分で発見できるのでしょうか」
と訊かれた。
「私の人生をもう一度生きる他ないのでは」
と答えた。
気障すぎるかな。
でもその時、生徒にはフレージングというか、メロディの成り立ちを理解して、それにどうアプローチするかという話をしていた。
どうしてそこまで解説するかと言えば、そこまでやって良い、と確信したからなのだ。
ジャズのヴォーカルは、即興と個性が売り物だから、深い旋律理解は必要ないのかも、と考えた頃もあった。けれど、原曲の強さを知らずして、何の即興か。
確信するまでには、チェロの斉藤先生、言うまでもなく「サイトウキネン・オーケストラ」の斉藤秀雄先生の講義録を読んだ時の衝撃があった。
先生が広島でされた演奏指導の内容をまとめたもの。
その微に入り細にわたる解説と解釈と逡巡。
それを読んでから、バイオリンのヴェンヴェーロフが開いた公開レッスンの映像などを見て、そうか、ここまでやって良いんだ、と目が醒めた。
自分の教えたい方法が、クラシックとそう違っていないこと。
ジャズではなおさらそこまでやって良い、いややるべきだ、という確信。
クラシックの長大な曲と比べるとずっと尺の短い楽曲で、それをやらない手はない。

生徒と話しながら、この一連の確認時間を思い出していた。

ジャズ・ボーカルを教える他の講師たちが何をどう教えているかは知らない。
私はただ、自分の蓄積から思いつく限りのアイディアを振り向けてレッスンするだけ。
その中には、ジャズだけでなく、オペラを含むクラシック、コーラス、邦楽、さまざまなポピュラー音楽の知識がある。
少し弾ける、楽器数種の経験がある。
ボイストレーニングは、様々な機会を捉えて海外講師のレクチャーを受けに行く。
音声学の耳鼻科の先生とも話す。
武道の身体の使い方などを興味深く見る。
臨床心理学で、対人関係や人格について学ぶ。
只今は、英文翻訳のトレーニングを受けている。
ピアノでジャズコードを学んでいる。

これらの蓄積の下で、その時に必要と感じられるひとつのサジェスチョンが出る。

幼少時から、音楽と本に耽溺した。
しかし、人生は極度なほど負荷が多かった。
もう少し環境が違っていれば、より成果があっただろうとは思う。
けれど、成功の道を上って行くより、足下を深く掘り下げることで、自分に対する「納得」を得られる人生の方が私には向いていた。
それは、つくづくそう思う。

レッスンの間、私は、自分の中から次々と沸き出してくるアイディアに喜びを感じている。
私は、本当によく学んで、よく運用できている。
それが、何にも替えがたい喜びなのだ。

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