自分の世代の基準として

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私の両親の世代は、思春期に第二次世界大戦が重なったためか、日常がトラウマチックだった。
実際、大変な体験を幾つもくぐり抜けていた。
そのせいか本来の性格のせいなのかは分からないが、とにかくいつも、悲観的な予測を口にした。
日常的に、これまで苦労したこと、精神的に辛かったことを思い出し、繰り返し語った。
その世界観は、不安とカタストロフィーの可能性に満ちていて、いつどんなひどいことでも起きるはずなのだ、と口調強く語っていた。

けれど、その割に、間が抜けているくらいに楽観的な部分もあり、高度経済成長でどんどん資産が増えて行くにも拘わらず、それを保守するような対策には無知だった。
有るだけのお金をばしばし使っていた。
その享楽的とも言いたい暮らしぶりも、物欲も、病的だと捉え直してみたい気になる。
豊かであることを実感できない、お初に遭遇しているためか、何だか訳の分からない狂騒。

今になってやっと少し、自分の生きている時代について理解が進む。
自分を含むものを見定めることの厄介。
生まれてみたらそこに確固として居る実の両親。
けれど、実のところ、彼らの生い立ちやら体験は、語られても語られても、良くは分からなかったのだ。
その命のやりとりや、危機について。

引き比べると、私は、自分の生い立ちも、経てきた体験も、ほとんど子どもたちに話していない。
どうやら、話さずにはいられないほど切迫したものがないのだ。
戦争を経たという時代性は、語っても語り尽くせないほどに重いものだったのだろう。

そんなことを思ったのは、今手がけているオペラ本で、ちょうどアルバン・ベルクの項に手を入れていて、彼が第1次世界大戦の従軍による体験をオペラなどの作品に盛り込んだということを書き加えた時だ。そうだ、私の親たちがあなたのようだった、と。
ベルクの、それまで一度も存在すらしなかったような、神経症的な、不安に満ちた音階。

私が勉強してきた精神医学は、第1次世界大戦時の戦争神経症によって飛躍的に発達したとされている。
私の世代は、大量殺戮を含む人類史上最悪の戦争に心を痛めつけられた人々に育てられている。
そのことで共通する私たちの世代の何かを、いつか真正面から考えてみたいとも思う。

ヒントになるかどうか、同年生まれの有名人を見ると、何となく過剰な部分がある。
過剰といっても、押しつけがましいとか、脂ぎった感じとは違う。
ただ、各々の中味が過剰なのだ。
個の境界が固く、中のエントロピーが高い。
隠そうとするが、内面がひどく知性に偏る人も多い。

自分の振る舞い方を仮定的に表現すれば、次のようになる。
親の傷つきを引き受けてきたとまでは言わないが、同情的に立ち回った気はする。
それとなく配慮して、疵を庇った気はする。
危機の中を生きたことで未成熟のまま残されてしまった部分を、温存してやった気はする。

そのいちいちは、自覚されず、さらに、国や時代に関係なく、どんな親子関係にも不偏なものなはずだ、と信じていたきらいがある。
けれど、多分、現在只今の若い両親の元で育つ子どもたちの親子関係は、それとはかなり異なっているはずなのだ。

時代による軛とでも言うのだろうか、逃れようのない厄災や危機。
その内実と人に与える影響を知ることには大きい意味がある。
言い換えれば、たったひとりの人間の責任からは乖離するはずの要因として捉え直すこと。
宗教的な赦しとは、それを知ることに近くはないか。

世代論を打ち立てたいわけではない。
ただそういう要因があるということを、自分の成り立ちに関する基準として、仮説的にでも問い返したい気がしている。


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このページは、kyokotadaが2012年6月10日 17:02に書いたブログ記事です。

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