変わり目

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生きていると、次々と、何かが終わったり始まったりする時期がある。
潮の変わり目のように。

私のこの頃がややそういう感じだ。
26歳で歌手を止めて、子育てに突入してから20年くらい、音楽のことはほとんど考えなかった。もう止めた、と思っていた。
その頃、近所の友だちに頼まれて、自宅でフリーライターの手伝い仕事を始めた。
色々な編集者に出会って何となく仕事が途切れずに発展し、めでたく著書を書き出した頃、少しずつ音楽の兆しが見えてきた。
音楽に詳しいなら、これ書いてみて、あれ書いてみて、と頼まれて、いつしか音楽の著書が増えていった。
それから、近所の奥様たちが、私の歌手復帰計画を立てたらしく、一度も歌なんか聴いたこともないのに、ホールを予約してきたと言うではないか。
200人くらいのキャパだから、10人くらいの主婦が頑張ればチケットが売れるという。
でも、無名だしねーー。
その時に、本当に20年ぶりくらいに歌ったのだ。
歌詞なんか覚えてないと思ったけれど、始まったらどっかから出てきた。
そして、15曲くらい歌ったかな。
その時に私を応援してくれた方たちに頼まれて、コーラス指導を始めた。
月に2回2時間ずつ、譜読みからボイトレ、コーラス。
みんな初めてだったから、1曲ハモるようになるまで2年くらいかかった気がする。
それが、先日12年目をもって解散した。
ひとつには、皆さんの私生活のスタイルが変わり、年齢による不調などもあり、出席率が保てなくなったこと、そして、休みがちだと覚えられなくなって、レパートリーが増えなくなったこと。
もうひとつは、私が音楽の仕事でとても多忙になってしまったこと。

それは、私が多忙になる契機を作ってくれた皆さんだった。
始めた当初は、私も手探りで、楽譜を集め、アレンジを発注し、色々工夫して、それが自分の力にもなった。
定期的に声を出す習慣を持てたことも大きい。
その後、個人レッスンの生徒さんを取るようになり、音楽書の執筆も増え、リーダーライブを始めたり、生徒発表会をしたり。
昔の音楽仲間と再会して、事業としてのスタジオ立ち上げ、音楽仲間のためのレーベル立ち上げ、それにまつわるあれこれをして今日がある。

ひとつの大きな契機が、ひとまわりして終わった。
12年は、ちょうど暦が一巡する長さだ。
その間にしてきたことの多様さは、振り返っても全ては思い出せないほどだ。

子どもたちが育ち、自分の本当にしたかったスタイルの仕事ができるようになり、たくさんの掛け替えのない友人に恵まれ、感動する音楽をいつも耳にできる。

けれど、あまりに辛くて生きている実感すら消えてしまうような日々もあった。
再び、そういう日々に行き当たる可能性も消えたわけではない。
人生は何が起こるか分からないから。
けれど、今のところは、機嫌良く人と接することができる。

機嫌良くできるということが、どれほど素敵なことか。
予測を遙かに超える衝撃を受けて、一度でも感情を無くしたことのある人なら、その価値がよく分かるはずだ。

生きている間中、環境はめまぐるしく変わる。
今こうしているのが信じられないほどに。
私は、今を変わり目と感じている。
きっと、未来のいつかから振り返れば、今という時期に、さらに納得のいく印をつけることができるのかも知れない。


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このブログ記事について

このページは、kyokotadaが2012年7月21日 12:14に書いたブログ記事です。

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