歌の神様、絵の神様

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昨日久し振りに歌ったら、歌の神様はお留守だということが分かった。
現在は、他のことで気が散っているために、私には降臨しないご様子。

絵の神様は、さらに降臨しずらくて、ひどいときは二年くらいいらっしゃらないこともある。
描けるときは楽しくて、後で見ても、おお、なかなかいいっしょ、と思ったりするのだがね、図々しくも。
けれど、降臨しないときは、図工の時間に嫌いなものを描けと言われた子どもみたいになってしまう。

神様とは言っても、多分脳の中でソフトの起動みたいなことが起こり、書き物でぱつんぱつんになった脳には、空き容量が少なくて絵のソフトが活発に動かないとかだろう。

歌は、しばしば続けていないと、とにかく歌詞が出てこない。
どこかの収納庫に貯蔵されている訳だが、鍵を開けても流れ出してこなくなってしまう。
古くなった絵の具が、出口で固まっていたり、変質して水っぽくなっていたりするみたいに、不均一に、とぎれとぎれにしか出てこないのだ。

それで、私は自分の脳味噌貯蔵庫、つまり頭部に対し、お詫びを申し上げることととなる。
「こき使ってごめんね」
無茶だと思う。
それで、良くできないと「ばか」とか言われる脳味噌はかわいそうだ。

ぼんやりしよう。
今日はライブに行っちゃうもんね。
ぼんやり聴ける種類の音楽ではないと思うが、ぼんやりしちゃうんだ。
ぼんやり大事。

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このページは、kyokotadaが2012年7月23日 11:51に書いたブログ記事です。

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