大西順子さん引退の話から

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ジャズピアニストの大西順子さんが、この秋いっぱいで演奏活動から引退するという。Twitterやweb上に色々な感想が流れてくる。

はじめにこの情報を知ったとき、まず大変そうだな、と思った。
大西さんはテレビでしか見たことがないけれど、ニューヨークに行った女性ピアニストってこんなに頑張らないとならんのだな、と感じたのを思い出す。
ニューヨークで活動しているピアニストは男女問わず、プレイスタイルが頑張る方向だ。

つまり、レイドバックした、いわゆるご機嫌なジャズというスタイルは、すでにしっかり本場の方々によって場所を塞がれており、さらに、先鋭的な部分も、アカデミックなバックグラウンドの方々によって席を埋められており、日本のプレイヤーに求められるスタイルは、「頑張る」しかないのかも知れない。

それとは別に、プレイヤーであることと、露出すること、何のために演奏をするのか、という個人的問題がある。
ミュージシャンの中には、毎日プレイしていても飽きない人と、あまり人前で演奏するのが好きでないタイプとがある。
私自身が後のタイプなので、すごく良く解る。
若い頃、有名なミュージシャンのバンドに入れていただき、ディナーショーのポスター作るから写真撮ってきてといわれてビビって辞めた。
今で言う、アーティスト写真を撮る、という行為が嫌でたまらなかったのだ。
写真撮るくらいなら、バンド辞める、という選択。

けれど、音楽は大好きで、ジャンルを問わずものすごく研究する。
音楽は私にとって研究対象なのかも知れない。
そこも大西さんに共感できる。

若い頃、毎日のようにライブしていて、ミュージシャンの皆さんも大好きだった。けれど、それだけだと足りない気がした。
自分にはその場の空気とは別の側面があって、毎日演奏する生活では、そっちの部分が満足されない、と感じた。それで、売れていたのに歌を止めて20年間全く別のことをしていた。その間、歌いたくて死にそう、などと思ったことはなかった。
復帰して歌を再開してみて、歌うことに対する別の楽しみが生まれて来ているけれど、それでも、たまにライブするくらいが私にはちょうど良い。
他の時間は、それこそ音楽の研究とか、レッスンとか、ミュージシャンの皆さんのバックアップとかをしている。
それは、自分にはない高い才能を惜しむ気持ちでもある。
もっと外に出て、たくさんのリスナーに聴いて頂いて欲しい。
楽に活動できる機会を増やして欲しい、という気持ちが強い。

大西さんのように美しくて才能があり、パフォーマンスも強力だと、ライブでの集客を見込んだビジネスが動く。それを許すと、色々な企画に沿って動かなくてはならず、畢竟少しずつ自分の本来的な欲求から乖離していくのを傍観しなくてはならない。
それは、至極当然に起きることだ。
大西さんは、それを由としなかったのかも知れない。
演奏活動を止めるという選択は素晴らしいことだと思う。
そうしていても、自分が満足するように演奏することはいくらでもできる。

周囲の欲望や期待に負け続けるのが普通の人間のほとんどの姿だから、負けないで、自分を見つめ続け、本意を貫くのは大変だ。
とくに、才能があって売れる可能性に満ちている人たちならば尚更。
けれど、どんなに才能に溢れる人々であろうが、絶対的な充実は自分が欲した行動からしか生まれない。
自分を尊重しながら、正直に生き続けた果てにしか生まれない。
だから、ものすごく我が儘だ、と評価されることをやってしまうのが、じつは正しい道だったりする。

勝手ながら、大西さんが、ゆったり微笑みながら、好きなピアノを弾いてくれると良いな、と思ったりする。

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このページは、kyokotadaが2012年8月29日 13:29に書いたブログ記事です。

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