アメリカ産のオペラ

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オペラの本を書く間、メトロポリタンオペラのライブビューイングの広報に大変お世話になった。素晴らしい写真をお借りして掲載している。
その関係で、東銀座の東劇で、ライブビューイングを見る機会を頂いた。
昨日は、「エンチャンテッド・アイランド(魅惑の島)」という、MET作のオペラ。バロックの、ヘンデル、ヴィヴァルディ、ラモーの名曲からアリアを選び、シェークスピアの「テンペスト」と「真夏の夜の夢」のストーリーを下敷きに新たに台本を書き起こすという贅沢な手法。
既存の曲あるいは部分を組み合わせて制作するオペラは、パスティーシュ(パスティッチョ)と呼ばれて、旅回りの小さい歌劇団などが良く行っていた。

この作品、確かに舞台美術も音楽も歌手も素晴らしい。
薄いスクリーンにホログラフや映像を駆使した効果は幻想的で美しく、3時間ほどの舞台を飽きずに観ながら、終盤に差しかかって「あらあら」と笑いたくなった。

本来、オペラの筋書きは、身も蓋もないのが身上だ。
現代の社会性や価値観から大きく離れているので、最初はその点にビックリすることが多い。
「あら、この人殺しちゃうの」とか「何で悪者が生きのびる訳よ」とか、多くは割り切れない思いのままストーリーを消化しなくてはならない。
しかし、次第にそれに馴れてくると、各時代に固有の「ドラマツルギー」というものに興味が湧き、時代ごとの人間観、人生観、社会観、背景について考えたり、調べたりする楽しみができる。
その上での「魅惑の島」。
終盤に差しかかると、いきなり、反省、改悛、謝罪、和解という、大作ハリウッド映画のような安い展開になってしまった。
アメリカ人は総立ちのスタンディングオベイション。
でもこれだと、ヨーロッパなら絶対ブーイングだな。

オペラの見始めの頃は、勧善懲悪や予定調和でないことに対する違和感こそ、私が毒されている「めでたしめでたし」文化の弊害であることを理解し、「純粋なドラマ」というものに対する認識を懸命に更新し続けてきたのだ。それが、今更のように大作ハリウッド映画もこれほどではない、と感じさせるようなオペラを観て、あららどうしようかと思った。
結論としては、「20世紀のアメリカ文化のメインストリーム典型を表すオペラ」と考え、これこそ、今後も続くオペラの歴史の中では重要な作品である、ということにするが、それにしてもああ、びっくりした。

勧善懲悪とか、めでたしエンディングにがっかりするというのは、かつてと真逆な反応。とすれば慣れとは恐ろしい。
自分としては、成長と思っていたが、もしかするとただのひねくれ、またはデカダンに毒されたのかも知れず...。
ちょっと考えないとな、と混乱の本日ではある。

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このページは、kyokotadaが2012年9月10日 13:28に書いたブログ記事です。

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