全てが詰まっておる、ものがあれば

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ひとつのことを熱心にやっていると、その中に何もかもが詰まっていることがわかってくる。
音楽をしていても、文章を書いていても、それらの中に、人間の持つたくさんのことが詰まっていて、それぞれにふさわしい形で現れてくる。

演奏も作曲も、その人を表していて、人間ってこんなにたくさんいるのに、ひとりも同じ人がいないのだと感心してしまう。
スポーツをする人も、どの選手も唯一無二で、それぞれが、数限りない要素の詰め合わせであるなあ、と感じ入る。

何かを語る時、世界を語るときと言い換えても良いけれど、「〜に例えると」とか、「〜で言えば」というものをもっている人は幸せだ。

「音楽で言えば、それはこういうことだな」
とか
「サッカーで言えば、それはこういうことなんじゃないの」
とか
「だんじりに例えるなら、これはこういうことだわな」
とか。

人生の色々、人間の色々をその中にたっぷり観られる何かを持っていることは、すごく良くて、それがあれば、互いを理解できる感じがする。

それを掴んだ人には、幸運だったねと喜んであげたい。
で、それがない人は、どうすればいいのか、私にはわからないけれど。

こういう話って、たまにぜんぜん通じない人もいたりするのよね。
どうしてだろう。
人生が惜しくないのかな。
落ち着いて、1回きりの人生を、何かのために捧げてみてくれよ、と強く思ったりするな...。

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このページは、kyokotadaが2012年9月20日 11:33に書いたブログ記事です。

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