心の中の良くないこと

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ここしばらくの間、心の調子が悪かった。
私の場合、自覚的ではなかったけれど、子供の頃から心は色々な意味で普通じゃなかった。
それこそ、今この年齢になって振り返って、しかも心理の専門家と色々話してみて初めて分かったことなので、その人生の中身というものは結構整理しがたい。

そのためなのか、本来は背負わなくていい大変さとか、苦労を引き受けてしまうことがあるようだ。
もっと自分が楽になるように立ち回るべきところを、じっと黙ってしまう。
その根本原因は、検討されてしかるべきなのだけれど、人間とは不思議なもので、その瑕疵を自覚するとその部分がものすごく空虚になってしまい、心全体のバランスが著しく歪む。
しばらく感じていた空虚感は、そのこと由来だったかもしれない。

人は、いろいろなものを抱えている。
存在の中に含んでいるし、背負っている。
自覚されるのは大方良くない方のこと。
そして、それらを瑕疵として感じ、ただ一途に健康で問題のない状態を目指す。
それは人間として正しい方法だ。
誰しも辛いことは嫌いだから。

でも、それをする過程で、荷下ろしをする度、しばらくの間不健康になる、というどうしようもないことに気がつく。
ちょっと泣き笑いしたいくらいだ。

多くの人は、自分のことをどう感じているだろうか。
自分はたいした存在じゃないとか、偉くも立派でもない、と口で言っていても、ずっと心の奥の方では、自分を多いに肯定してはいないだろうか。
なんだかんだ言って、自分の感性を良いものとして感じてはいないだろうか。
それが、自己肯定感、セルフ・エスティームだ。

自分が好きな音楽は良い。
自分が好きな映画も良い。
自分が好きな食べ物は良い。
自分が好きなタレントも良い。

いつも、どこかで自然にそう感じている。
それは、とても素敵なことだ。
それを口にしてみた時に、頷いてくれる人や、分かち合ってくれる人と友達になり、意見が違う同士で議論したり。
こういうはたらきは、一人ずつが独りよがりに好き嫌いを持っていい、と肯定する心から生まれて来る。

そのことを阻害される人生もたくさんある。
自分の意見で「好き」と言ってはいけない文化。
そういう時代に、そういう国に生まれついてしまう運命もある。
そういう家庭に生まれついてしまう不幸もある。

けれど、不思議なことにそれが反作用となって生まれてくる作品や表現もある。
人は本当に不思議なんだ。
本来人にとって良くないことが、何かを創り出したりする。
本当に本当に、不思議なことだ。

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このページは、kyokotadaが2012年11月 8日 11:43に書いたブログ記事です。

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