歌が楽しいこのごろ

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本来、歌う人なのだが、書き物が混んでくるとしばらく休んだりする。
それが、最近すごく歌うのが楽しくなっている。
色々発見したり、あとは気持ちの問題かな。

歌を教えていると、自分の感情の発散のために歌っている人が多いなぁ、と感じる。
それは全然悪いことじゃないのだが、それをいくら続けても巧くはならない。
言うまでもなく、演奏には感受性とか、自分なりの世界観とかがないと成り立たないのだが、一部のロックを除けば、ほとんどの音楽は技術や抑制で聴かせる部分が多くある。
なので、声出した途端に興奮して、叫んだり、吠えたりすると音楽的には偏る。

いつも思うのは、楽曲を尊重するということ。
自分の発散のために使ってはいけないな、ということ。
キャリアがない時は、すばらしい演奏を聴くと、その音圧にやられてか、適正に受け取ることができなかった。
プレイヤーのあるいは歌手の迫力を感じて、その迫力を再現するにはでかい音でなくてはいけないのじゃないか、とか力を込めていないといけないのじゃないか、と勘違いするのである。それが、自分も相当鍛錬してから聴き直すと、じつは拍子抜けするほど力の抜けた演奏であったりする。
つまり、演奏が未熟な時は耳も育っていないということか。
耳が育つと自分の演奏が良く分かり、工夫し勉強する。そして一定の進歩があると、さらにその先の音が聴こえてくる。そこからさらに訓練し、勉強する。するとその先に...、とまあ道は果てしない。

歌が楽しくなっているのは、レーベルのレコーディングやライブで、凄いミュージシャンの演奏を繰り返し聴くからだ、と思う。耳が育っている。
レコーディングの時のアンサンブルが、レコ初のツアーを続けるうちに変わってくる。
私は、ディレクションのほか、CDのコピーライトや宣伝の制作もする訳だが、それらの文言を彼らが具体的なイメージと受け取って発展してくれているのも見える。
いわば、いろいろな部分での相乗効果。

歌の話に戻れば、かつてのレパートリーをもう一度さらって、丁寧に、歌詞からフレージグまで捉え直そうと思っている。自分で「歌の蔵出し」と呼んでいるが、それはそれは沢山の、置き去りのまま歌い切れていない曲があるのだ。
せっかく一度は覚えた曲を、もう一度、今の私の力で歌ってみたいと思っている。

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このページは、kyokotadaが2012年11月12日 11:53に書いたブログ記事です。

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