中村勘三郎のこと

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平成中村座で一度見たかったな。
いつでも観られる、と思ってしまった。
歌舞伎座が取り壊しになる前に、玉三郎とやったお芝居を観た。
いつもオーバーアクションで、ずいぶん疲れるんだろうなぁ、と感じた。
一生懸命やる、というノリから、円熟に入る直前だったかも知れない。

だいぶ前には、久世光彦の脚本の現代劇。
柄本明と藤山直美と渡辺えりという豪華キャスト。
この時も、達者だなぁ、と感心した。
落語がそのまま芝居になっているような。

野田秀樹にコクーン歌舞伎を書いてもらった後、芝居について対談したものを読んだ。
2人ともが私と同い年と分かってとても嬉しかったし、ならば自分ももう少し頑張らねばとも思った。

同世代の実績や、がんばり具合は、自分の立ち位置を確認する役に立つ。
自分の生きてきた時代性とか、世代の雰囲気とか、加齢とか。
そろそろ大人しくしようかなとか、いやもっと出しゃばろうとか。
それが、これからという時期に、活躍が突然途切れてしまったのだ。

毎日一生懸命で、本人にとっては納得の人生だったのかも知れない。
けれども、観る側は、これからが円熟味の増す年齢だったはずと惜しい気持ちでいっぱいになる。惜しむ心は勝手なものだ。

生きてそこに居るって、不思議だ。
亡くなって、思い出の中だけに居るってのも不思議だ。
1人の人間なのに、たくさんの人の心の中で、色々な顔をしている。



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このページは、kyokotadaが2012年12月 6日 11:59に書いたブログ記事です。

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