一昨日、早く家に帰ってテレビをつけたら、「みんなが聴きたい歌謡曲」みたいな番組をやっていて、昔のヒット曲がいっぱい流れた。
今の私の耳や目で見ると、歌い方とか、上手さがかつてとは較べものにならないくらい良く分かって、ついついずーっと見てしまった。
昔の方が上手かった歌手はいっぱいいる。
今も活躍しているけれど、くどくなりすぎたり、体力的に落ちてきたり。
ものすごく上手いと思っていた人でも、体調が悪い時の歌はがんばりが利かなくなっていたな。
そして、演歌とか歌謡曲の歌手で昔のスターっぽい人たちのトークがまた興味深い。
「えー、私はスターですから、何しろ、スターですから」的な。
はたして「自分はスターなのだ」という佇まいは、どのようにして醸成され、受け継がれ、また発揮されるのか。
その手本は、綿々と続く歌舞伎役者とか、映画スターの系譜なんだろうな。
昭和28年から放映が始まったテレビに映ってみると、歌手たちはきっと、それまでは想像もつかないほど多くの大衆に知られてしまうことになった。
まさに前代未聞の事態。
必然、ヒット曲を出すと、誰ひとりに対しても「スター」でいなくてはならなかった。
やがて反動が来て、フォーク歌手なんかで「テレビに出ない」主義の人たちが出て来る。
テレビ向きのスターの佇まいを要求されてはたまらん、と感じる人々。
野外ステージでジーンズで歌う人たち。
演歌の人たちは、今でも衣装も込みで評価される。
派手な衣装と装置とバックの踊りなんかも含めて。
そして本人も「歌に入り込んで」演じる。
歌の前にお芝居をやったり。
台詞入りの難しい歌を歌ったり。
すごいな。
総合芸術だ。
スターには、ふたつのタイプがある。
ひとつは、「私もまたその人のようでありたい」と人々に思わせるタイプ。
もうひとつは「そんな物はこの世に無かったはずだから、存在すること自体が凄くて、観たい聴きたい」と憧れられるタイプ。
その有り様によって姿も佇まいも変わる。
佇まいをセレクトするのか、先に楽曲の種類をセレクトするのか、うーむ。
それにしても、「私はスターなんですよ」と信じている人々の凄さには適わない。
滑稽に感じる人もいるだろうとは思うが、でも、やっぱりそういう人たちの歌には説得力がある。
いちいち面白がって観て、たまに歌ったりしていたら、夫が「俺、今日出た歌手の半分くらいバックの仕事してるな」と言っておりました。
渥美二郎のデビューコンサートは、北千住の公民館みたいところで、最後の曲の前に客席の最後部から作曲家の遠藤実氏が走って来てステージに上がり、いきなり指揮をした件。
中条きよしの中野サンプラザ公演ではお客が少なくてビビったとか。
テレサ・テンと行った東南アジアツアーの音楽ディレクターがアメリカ人で、テレサは英語のポップスもガンガン歌ったのだ、とか。
名前は出せないけれど、お酒・他で壊れている数人の歌手のこととか。
まさに、昭和芸能史の一端を聞いたのでした。
昭和は面白かったよね。
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