おそらく1人の天才から

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日本の料理について、昨日もっと深く考察しようとして時間切れ。
今日はその続き。

料理や音楽や絵画は、多分1人の天才を持つか否かでその後の命運が決まる、と思ってみた。
長く、音楽の解説を書いていて、多くの歴史的資料を読むにつけ、その劇的な進展は「たった1人の天才に負う」という仮説が立ち上がって来る。

クラシック音楽で言えば、オペラはモンテヴェルディだ。その後にワーグナー。
オペラ以外ではバッハとモーツァルト。私にとっては、ベートーヴェンよりモーツァルトだ。
ジャズは、マイルスとデューク・エリントン、ビリー・ホリディ。

選択の基準は、パラダイムを変えその後の伸び代を造り出した人、ということになる。
その後に際限なく続くアレンジは、その人1人がいたからこそ、ということになる。

現在、国や地域によって料理の美味い不味いがあるが、それを成し遂げたのも名も知れぬ天才達だったに違いない。
例えば、鰹節を完成させた人。
昆布を発見した人。
千利休は食器の概念を変えたかも知れない。

「見立て」という考え方は、三次元の中に時間の感覚も含む。
あるいは、見えない部分、着物の裏地などにストーリー仕立ての模様を隠し持つなど、多分に心理的な遊び。
建前(表地)と本音(裏地)は、テクスト(言葉)とコンテクスト(文脈)とが平行して存在することを暗喩する。

そういうことを思いつくのは、おそらく1人の天才なのだ。
その国に、その地域に、1人の天才がたまたまのように出現すると、その地には豊かな発想の連鎖が恵まれる。

イギリスには、長い間これと言ったクラシック音楽の作曲家が存在しなかった。
同様に、料理の天才も出現しなかったのだろう。
それはどこまで行ってもたまたまで、その時代にその場所で、生まれ出た天才が何を為そうとしたかによる。

総じて、イギリス起源の国は料理が不味い。
例えばアメリカ。まずい料理と引き換えに、彼らが何を為したかと言えば、ITだろう。
IBMを生み、ジョブスやビル・ゲイツに至って、当初は軍事目的だったであろうが、とにかく彼らが成功させたシステムは、世界の情報流通を変えたのだ。人類の有り様が変わるほどに。
とりわけ、ジョブスの考えた持ち運びできる大容量のデバイスは、すんごい、と思う。

国や民族の色合いは、自然環境に左右される差異に次いで、たまたま生まれた天才がどの分野で何をやらかしたのか、によって決められて行くように思える。

それらたまたまの積み重ねの上で楽しいとこ取りをしつつ、ぼーっと生きる私。
ありがとう、みんな。


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このページは、kyokotadaが2013年5月 1日 12:38に書いたブログ記事です。

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