kyokotada: 2015年3月アーカイブ

人生は過程なんだよ。
と、最近つくづく思う。
始まりとか終わりとか、じつは、ありそうでない。

私のお母さんの口癖は「さっさとやっちゃいなさい」だった。
もうひとつ、「私の言うことを聞かないと、大変なことになるよ」
というのもあった。

これらの言葉には、始まりと終わりだけがある。

子どもというのは、親から刷りこまれたことを基準に生きるので、人生の長い期間、このふたつの考え方が重奏低音のように日々の行動に影響していた。

「さっさとやっちゃいなさい」、という言い草の内容は、例えばピアノの稽古だったり、宿題だったり、家事だったり、明日の準備だったりするわけだ。
つまり、さっさとやって、滞りなく済ませてからなら、自分の好きなことをして良し、という考え方だ。
これは一種の呪縛だった。
どんなことだって、さっさとやってもなかなか終わらないのだ。
そして、さっさと済ませようとすると、全部つまらないことになってしまった。

ピアノの稽古は、何回弾けばいいというものではない。
楽しくなれば、あれこれ遊び弾きもしつつ、行ったり来たりするのだが、それは稽古にならないと見なされた。きちんと最初から最後まで何度も弾くのが良い練習だと言い渡された。勉強も、脇目も振らず一心不乱にノート上に鉛筆を走らせていないと、ちゃんとやっていないと見なされた。

そんなことで何もかもつまらなくなるので、別のことに気が向く。
気持ちは逃走しまくる。

家庭を持ち、子どもを育てる間は、それこそ、さっさとやって少しでも自分の時間を作ろうと頑張った。
しかし、家事は膨大だった。
家事育児が膨大な上、べらぼうに時間を食うライター仕事をしていた。
さっさとやらねば、と焦るほどに、気持ちは非常に辛くなった。

数年前から、年を取って疲れてきたせいか、次第に、さっさとやらないで放逐していていも、さほど差し障りがないように感じてきた。
私が全部こなさなくても、家族も周囲も困ったり、気にしたりしないようだ。
私が完璧にこなさないと、不安になり、そのことを盛大に気にしていたのは他でも無い、自分では何もしない私のお母さんだけだったのだ。
私は、はたと膝を打った。
謎が解けたがした。
お母さんは、娘がさっさと何でもしてくれると安心していたようだ。
そりゃそうだ。分身ロボット。

それで私は、勉強、習い事、家事などよくやって素晴らしい人材に育った。
ただし、心は落ち着かず、いつも切迫して辛かったのだが。

この頃やっと、自分の行動のどの部分が無用な刷りこみで形成されているのかを理解できるようになった。
長い時間をかけて学んだ、臨床心理学や、好きで読んでいる文学や、テレビで見るさまざまな立派な人々のお陰である。

現在只今は、気が向かないことは無理してまでやらない。
義務感で物事を進めない。
楽しくなるアイディアをいっぱい出す。
という方針で生きている。

私に対する刷りこみは、大まかにいうと、「身を粉にして身近な人に尽くす」というものだった。
気がつくと、すぐにそう動こうとする。
この傾向を素早く察知する人は、しなだれかかるように私に依存する。
隙あらば依存する。
長い間、そのような小賢しい人々を散々ぱら見てきて、大部うんざりもしている。
そうさせてしまう自分の責任でもある、とは思うが、お互い節度は大切だ。

依存ではなくて、共存しながら、互いに活き活きできる相手と生活し、仕事し、遊んでいたい。
でも、依存する人って、自分がそう思われているのに気がつかないらしいね。
自分がいかに立派で人に好かれているかを、蕩々と語ったりする。
まあ、人間、そこが面白いんだけど。

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