秋刀魚の味 観た

user-pic
0
午前中から小津映画である。
息子が日本映画の授業を取っていて、レポートを書くために観ていたのだが、横で眺めるうちに思わず引き込まれて全部観。

私の生きた昭和の半ばは、こんな風だった。
戦後がまだ終わりきらず、その中で廃れていった人と、波に乗れた人。
手近な収入の道を探し、こじんまりとした商売に生きる人。
団地と核家族の始まり。

アングルはやはり低い。
人物が画面の真ん中に肖像画のように居る。
台詞は棒読みでオウム返し。
表情すらないのだが、なぜだか内面は恐ろしくリアルに伝わってくる。

ほとんどの俳優、女優の名前を知っている自分に驚く。
杉村春子、この役だったのか。

何度か観ているはずなのだが、あまり熱心に観たことがなかったのだろう。
息子は、主役級の三人のおじさんの話しぶりを聞いて「高校生か」と呟いている。
確かに、今時の人々の話しように比べると、単純至極。
しかし、友情や思いやり、互いの人生の孤独や厳しさに対しての批評はなかなかだ。

この頃はまだ、人生には自分ひとりの力ではどうしようもないことが多いと知っていた。
家族にしても、友だちにしても、境遇にしても、縁談や仕事にしても。
自分ひとりの力では判断できないこと、引き寄せられない縁など。
だから、家族の意見に耳を傾けたり、その中で精一杯自己主張もしてみたり。

この時代の人々は、ひとりの人間のサイズは、こんなものだろうと、どこかで悟っていただろうか。
悟っていたとすれば、それは、小津自身なのだが。

どこかで他人を頼り、預けてしまうこと。
建前としてはひとりで立つのだが、ふらついたときに、サッとかおずおずかは別として、必ず差し出される手があること。

今で言う、セイフティーネットの姿が、まだ人の手の形であった時代の、窮屈で制限に満ちてはいるが、多く有機的だった時代の切り取り画。

住み込みの従業員がたくさんいた自営の家で、大人数で育った私にも、あの頃の人々がそれと知らずに持っていた、人に対する安心が、形を保ちながら残っていると、ふと気づく。

そう、かつての安心は、物を持つとか立場があることではなく、人と居るということの方にあった。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://tadakyo.web5.jp/mt/mt-tb.cgi/286

コメントする

このブログ記事について

このページは、kyokotadaが2012年5月22日 13:50に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「仕事の顔つき」です。

次のブログ記事は「記憶は不思議すぎる」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。