最近、東京のエグゼクティブ階層と地方の進学校から受験してきた大学生との間で、大いなるカルチャーギャップが生じており、地方の学生がショックで鬱になったりするという記事を見た。
たとえば、東京にいる帰国子女とかエグゼクティブ家庭の子弟は、幼少の頃から、高級な文化に触れまくっているし、バイリンガルだったりもっと他の外国語が話せたりするのに比して、地方の進学校出身は、教科書や参考書勉強しかしていないので、内包する文化がまるで違うということらしい。
「何を話しているのか理解できなくて、大変なショックを受けました」
という地方出身の東大新入生女子のコメントなんかが紹介されている。
で、私は思う。
それは当たり前だし、昔からあったことだ、と。
それで落ち込む学生に言って上げたい。
私の頃は、地方格差は今よりもっとすごかった。
中学になるまで、信号のない田舎町に育った私。
学校にSLで通っていた私。
今、カルチャーショックという在って無きがごとき事態にぶち当たった学生たちに言いってあげたい。
「人生は長くて、今からが始まりだよ」と。
私の田舎には、信号もなかった上に、会社なんて無かった。
サラリーマンなんていなかった。
ほとんどが、農家か漁師か商店で、勤め人といえば役場か学校の先生くらい。
あと、水産試験場と農林試験場とか。
金持ちは医者ばっかりで、あとは何も無し。
それでも都会の文化は、それぞれが勝手に、テレビやラジオや雑誌から吸収していた。
ニッポン放送や文化放送はほとんど聞こえないので、トランジスタラジオを持って家の中を徘徊し、電波の良い場所を探したものだ。
そんな環境からいきなり東京の大学に来て、先生に「こんなことも知らないんですか」と驚かれて、逆に私が驚いた。
大学なんて、大学の先生なんて、日本全体からみたら希少な特殊な職種だべ。
それなのに、田舎の学生がものを知らないと驚くお前たちは、一体何を基準にモノをいってんだか。
と。まあ、今から思えばだが。
無学を驚かれたので、大学に来たからには勉強すべきかも知れないと一応は思いながら、音楽ばっかりしていたが。
その後、自分をちゃんとして上げたいと感じて、ずっと勉強している。
本は山のように読むし、臨床心理学の研究所にも行っているし、忘れそうになると翻訳のクラスも取るし、書くし、練習するし。
そして、気がついたら随分ちゃんと色々出来るようになっていた。
はじめの、モノ知らずな私という定義は、なかなか良いものだったとは思う。
しかし、現在、地方出身の若者が、都会の子女たちの話が理解できないからといって、落ち込むのはいかがなものかと思う。
コンテンポラリーダンスを観たことが無くたって、コンセプチュアルアートが何か解らなくたって、そんなものは、少し観て歩けば好きか嫌いかはっきりする。
そんなものより、生まれてから都会に出るまで見続けていた、身体で感じていた、田舎の自然や風景や人たちの方が、何倍も素晴らしいものなのだ。
文化の芽は、身体の中にある。
だから、出来上がったものを見て、良かったの悪かったの言うよりも、自分の身体の中に何があるのか、そしてその価値づけをしっかりできた方が上等なのだ。
私は、大学に入ってずっとポカーンとしていた。
何だかさっぱり解らなかったのだ。
でも、その解らなさってのは、自分が常連じゃない店に入ったら、みんなが内輪の話で盛り上がっていて、その内容がさっぱり解らないに近い解らなさなのであって、引きで見てみれば、学問の世界なんてそんなものだ。
専門分野を全世界だと仮定している専門化が、掘り進めている穴なんだから。
カルチャーショックとは、常識が異なる所に入って感じる疎外感でしかない。
そしてその疎外感は、中にいる人々が浸かっているぬるま湯に入りたいか否かという試金石なんだね。
そんな湯はまっぴらごめんだ、と感じると、ショックは受けたにしても、せっかくでしたが結構でございますと、お断りするためのひとつの機会だったことになる。
つまり、劣等コンプレックスとは別物だと、はっきり区別しなくてはならない案件だ。
学者の人たちは、自分の世界での優劣を何よりも大切にしなくてはならないのだが、外部の人たちにとっては、別にそれはそれだから。
学者的価値判断によれば、ハイ・カルチャーは必要なもので、ハイ・カルチャー大切連盟みたいなものもあるらしいと理解できるが、やっぱりそこも、それはそれだ。
誰にとっても目線を変えるのは面倒なのかも知れない。
手元をしっかり観ていないと、周囲と話は合わなくなるのだが、そこばかり観ていると、次には外側が理解できなくなる。
遠近両用で行かないと、それもマメに。
それをやり続けるには、ただ、体力、気力が要るのみなのだ。
とにかく、体力が大事。
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