ボーカルの特別な部分

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昨日、私のバースディライブのリハをした。いちおう、下地と言うことでピアノトリオのみ。本番にはここにギターとサックスが入る。ふたりとも、素晴らしいミュージャンなので、下地が出来ていれば、さらにイマジネーションを湧かせていただけるだろう、という考え。

バースディは、毎年、自分なりにある程度コンセプトを決めて選曲する。ファンク系の多い年、ジャズ系の多い年、ポップス系が多い年など。
誕生日が同じと言うことでご一緒するピアノの北さんは、本職が整体師というピアニストで、どちらかといえばセミプロなので、彼にとって弾きやすい、ということも念慮して曲を選ぶ。
それから、ドラムとベースの個性とか、上に乗るギター、サックスに合いそうなものとか、長年積み上げたレパートリーから選び、さらに最近気になっている曲も盛り込んだりして。

選曲に対して、メンバーからのリクエストもある。
今年は、マイケル・ジャクソンとフローラ・プリンとビートルズと井上陽水。
私の選んでいる曲は、スタンダードのアレンジものがほとんどで、アレンジソースは、パティ・オースティン、リズ・ライト、ダイアナ・クラールなど。
他には、スティーヴィー・ワンダーとレイ・チャールズの曲。

歌は、楽器と違って、まず音色が自分の声でしかない。
楽器の場合、とくにスタジオ系のミュージシャンは、どんなジャンルの曲でも技術で弾いてしまえるので、色々な曲が希望されるのだ。
で、やってみて、やはり、録音音源再現方向の選曲は困る、という結論に達した。
ボーカルは、器用にやってはいけないのだ。
ボーカルは、そのボーカリストの個性の範囲を広げすぎてはならない。
コピーすれば何だってそれなりに歌えるけれど、それをやってしまうと、もの真似歌手と変わらなくなってしまう。
歌手は、器用だとつい、そこに陥りがちなので、気をつけなくてはならない。

楽器の人には、その辺りを伝えるのが難しい。
コピーして、似たように出来れば良いのではないの、とか、自分なりに歌えばいいよ、と簡単に言うのだが、自分なりに歌うと「何なのこれ」になってしまう曲もある。
歌には、曲はつまらないけれど、その歌手か歌うとすごく良い、というものもあり、例えば、ストーンズとか、ハイロウズとか別の歌手が歌っても全く意味のない曲というものが存在する。
逆に曲自体が良くて、さらに歌い変える、つまり歌手なりの工夫を盛り込めて、個性を発揮することに意味のある曲というものもある。アレンジが効く曲というか。
それが、大きな意味のスタンダードなのだけれど。

例えば、ギタリストに、イーグルスのホテルカリフォルニアをやるから、ソロのツインギター部分全部コピーしてくれ、と頼むのは、おやじバンドではあり得ても、プロにはとても頼めない。
そういうものだ。

パフォーマンスの中味に対する、意識の保ち方は、同じプロミュージシャンであっても、活動する場面によって少しずつ違う。
ジャズの極みの人たちは、アレンジを最小限にしようとする。
自分たちの自由度が保てないと、演奏する意味がないと考えている。

ボーカルの立ち位置はとても難しい。
バンドをやると、楽器の人が自分が楽しく弾きたいがための選曲になって、ボーカルがテーマを担当する係みたいになってしまうのだ。
そこを突破するには、ひたすら、実力をつける以外にないのだが、なかなか簡単には行かない。理論やアレンジの知識がそれなりについて、歌に個性が生まれて、発言しても軽く見られない人としての信頼も得なくてはならない。
ライブは、ほとんどボーカルがブッキングする立場だから、広報、集客、ギャランティの保証もする。
大変なことだ。
ボーカルは女性が多いけれど、活躍している面々は、例外なく男性以上に腹が据わっている。

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このページは、kyokotadaが2012年8月22日 11:55に書いたブログ記事です。

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