NHKで永山則夫の精神鑑定テープに基づくドキュメンタリーを見た。
連続殺人犯で死刑になった人。
北海道の知床からはじまる彼の生い立ちと、その母親の生い立ち。
家庭環境による外傷性の精神障害、後にPTSDと呼ばれる状態に至る概念が発想されていた。
樺太で親に捨てられた母親は、生きるために飲んだくれのばくち打ちと結婚して子供をたくさん産む。しかし、父親は失踪し、困り果てた母親は次に自分の子どもたちを捨てる。
その捨て方が悲しい。働ける子は連れて行き、末っ子の永山を含む幼い子たちは置き去り。
誰かの援助で家族は再会するが、永山は父親に似ていたためか、母親に忌み嫌われて兄弟からも虐待される。そして姉妹はみな精神病。
何をしても不安で、被害妄想と、それが引き寄せる虐待にまみれた生涯。
中で語られていたように、救われそうな時に限って、取り返しようのない事件が起き、その度に人生や人を信じられなくなるような扱いを受け続ける。
生まれが北海道であることから、語り口がとてもよく解った。
そして、私の家にも幼い頃、樺太からの引き揚げ者や文盲の使用人が居たのを思い出す。
私の生まれるつい10年前まで戦争だったし、遡って、祖父母の時代は貧しい家の娘は売り買いされ、間引きされた時代だった。
現在の都会の家族のスタイルは、じつは大変恵まれた時代の、一時的な安定の上に成り立っているものだ。
子どもの頃、周囲の家々の、戦争や病気などで壊れてしまった家庭を垣間見て、底知れなく不安を掻き立てられたことを思い出す。
なぜ、このような悲劇が起きているのだろうかと訝り、そして自分がその境遇でなく、学友がその境遇に晒されている、その差は何なのだろうかと考えたりした。
母親が結核で死に、弟妹が沢山いて、父親は酒乱。
兄弟の中のひとりである同級生は学校に来ていたけれど字が読めなかった。
いつも私におやつを作ってくれたまかない係のおばさんは、樺太からの引き揚げ者で、樺太には土人が居たなどと言う。私には、不思議な話だった。けれど、私の生まれる少し前まで、現地の人々は日本人に土人と呼ばれていたのだった。
家から少し山の方面に入った未開拓の村には、そういった引き上げの農家がたくさんあり、土間と板張りの一間だけの家も見た。
けれど最近、その辺りを取材したグルメ番組では、素晴らしい野菜を作る農家が紹介されていたので、改めて時の推移を感じたのだ。
樺太や満州が日本だった頃から終戦後の一時まで、私の田舎は賑わっていた。何しろ人が沢山いたし、魚もいっぱい獲れた。祖父母は鰊漁の話を良くしてくれた。
今は、かなり過疎に近いらしい。
社会は、時代によって様々な顔つきになる。
自分の生きてきた道のりを辿るだけで、世界がどれほど休む間もなく動いているか、分かってくる。
人はいつも恵まれているわけではない。
社会はいつも合理的に成り立っているものでもない。
そして、常識的に暮らす人が大多数だというわけでもない。
つい、正しいものとして、あるいは正しくあるべき物として見たくなる現実は、じつは動き続ける巨大なカオスなのだ。
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