クエスチョンマーだらけだ。
政治とか、経済とか。
どうなっているのだろーか。
生まれてから、経験、体験してきたことでは、現在の事態が良く理解できない。
世界でいったい何が起きているのだろうか。
ひとつには、情報過多ということがある。
あちこちから細かくデータを収集して、それで大きなデータにたどり着いて、見て聴いて読んで、その後に考える。
考えると言うより、分析、解析、理解、予測などしようとする。
その種類なり、量なりが一個人に対しては莫大すぎて、逆に胡乱になる。
だが、それにしても何だか変な感じだ。
掴めない、分からない。
今までの語法も理解力も何となく役に立たない。
だが、分からないようだということが分かるのは安心材料ではある。
勘違い、読み違いしたまま呑気に進むと、いきなり穴に落ちそうな気もする。
現在は、これまでとは違うと思う。
これまでの方法を何とか踏襲しようとか、手当てしながら進もうとかする団体がほとんどだが、そんなことも止めて、ぱっと新しく全く関連性問わずに始めないといけない気がする。
そんな気がする。
それで、いきなり関係ないが大河ドラマの視聴率について。
『平清盛』最低視聴率更新だそうだ。
始まる時、私も見よう思った。
これまで、大河ドラマは見たことがなかったのだが、時代考証の素晴らしさ、歴史観の斬新さに惹かれて、珍しく「これは見よう」と思ったのだ。
だがしかし、見続けるには、何となく体力が要る。
疲れている日には、パスしたくなる。
要するに、あれは娯楽を超えている。
時代考証とか、人物像の掘り下げとかが真剣すぎるのだ。
登場人物は、役者として容赦なく剥き出しだし、毎回追い込まれている。
命が近く感じられてしまう。
かつてなく実りの多いドラマなのだが、お茶の間で見ると背筋が寒い。
娯楽ではない、歴史だ、と自分に言い聞かせるが、やはり気力のない時にはしんどい。
面白くない訳ではないのだ。
作品として完成度が低い訳でもないのだ。
ただ、毎週見続けるには重すぎる。
それを連続ドラマとして創り続ける体力には脱帽だし、賛辞を贈りたい。
ただ、受け取る側が疲労している。
アーカイブとしては、末永く傑作として鑑賞されるかも知れない。
ただ、現在は見る側に気力が足りない。
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