火薬の話

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例えば今もシリアで戦闘があり、そしてイスラエルがガザ地区で空爆をしている。
いずれの場合も、人を殺戮するのは火薬を使った武器だ。
銃にしても、爆薬にしても、人を殺傷するのに使い続けられている。

その火薬は、2世紀頃に中国で発明されたと言われている。
古代中国の四大発明、というのがあり、火薬、紙、印刷、羅針盤がそれに当たる。
夕べ、日本と西欧の文化比較をした本を読んでいたら、中国では発明した火薬を花火にしか使わなかったと、いう記述があって、何か深く感動してしまった。
美しさを愛でるための火薬は、西欧に渡る過程で武器に成り代わる。
その圧倒的な殺傷力は、未だに人類の悲劇に手を貸し続けているのだ。

「発想した時、大方のことは良いことだ」
という考え方がある。
ひらめく、というか、私たちのために役立ち、楽しいはずだとして考え出されたことが、いつのまにか、人を苦しめるものに成り代わっていく。
宗教も、そういう歴史を持つのだろう。
人を救うためのものだったのが、いつの間にか人を縛り、相争わせるものとなる。

アジアには「白黒つけなくても良い」とか、「神様は沢山いていい」とかの考え方がある。
それは、日頃の暮らし方にも色濃く反映されていて、一神教の国々とはものの考え方、論理の建て方などが大いに異なっている。
私たちは日常、それを知らずに応用している。

ある意見では、日本は社会自体のセキュリティが高いので、他国なら武器の販売や警備にかかる経費がGDPに反映されていないのだそうだ。
たしかに、私たちの目の前で火薬が盛大に使われるのは夏の花火大会くらいだ。
そして、この安全性は金額に換算できないが、他国には滅多にないとても大きい財産だという。深く頷ける話。
ある程度ぼんやりと油断していても暮らせる国。
それは人間にとって、とても有り難いことではないだろうか。

中国人は発明した火薬をもっぱら花火に使っていた、という話に出会って、思いがけず、ずいぶん得をした気がする。
人は、はじめに良いことを思いつくのだ。

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このページは、kyokotadaが2012年11月21日 11:56に書いたブログ記事です。

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