スポンサーというクセモノ

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レーベルをやっていると、慢性的に資金不足である。
本来は、資本金というものを外部からも調達するべきなのだが、私は自分の貯金でやっている。
なぜかというと、スポンサーを持つのが嫌いだから。
とくに、CD制作なんかは、私の好きな音を作りたいので、お金を出して頂くわけにはいかない。お金を出すと口も手も出したくなるのが人情だ。まして、ジャズのアルバムはミュージシャンの独りよがり大サーカスでないと意味がない。
現在となれば古典としてもてはやされる名盤も、作った当初は絶対に「勝手にこんなもん作りやがって、売れるわけねーだろ!!」と罵倒されていたかも知れず。
そのくらい、とんがってないと後世のためにはならない。

まあ、これは前ぶりで本当は今回の選挙とメディアの関係について、日本の現在を憂えたのが書く理由。
テレビなどが、どの政党の肩も持たず、ひたすら中立の身振りを繰り返すのは、スポンサーがいるためである。
スポンサーの地雷はどこに隠れているか知れない。
クライアント社長と、とある政党の実力者が同窓だとか同郷だとか飲み友達だとか親戚だとか。
刺激的な番組作ろうとして踏むかも知れない地雷は、すでに身動きとれないほど緻密に埋まってしまっているのだ。
私も、雑誌を作っていた時に、色校正段階とかになってから、「この部分まずいです、広告主さんからクレームです」なんということがしばしばあったな。
宣伝に金出すと、不快なことされると「降りるよ」と脅かしたくなるようなのだ。
人情だろうか。
嫌がらせ、権力振り回し、自意識過剰、などだろうか。

それで、選挙だが、家族では「あそことあそこは大政翼賛的で危ねーな」
とか話しているが、そういう政党が事前調査で人気だったりする。
「いったい誰が支持してんのさ」
と首を傾げるが、多分、ネットもツィッターも関係ないお年寄りだったりするんだろーな、ということになる。
そうなのかな。
ネトウヨというのもいるからな。
いったい誰が大政翼賛、右傾化、ファッショ、独善などを喜ばしいことと感じているのだろうか。探したい。

それって危なくないですか、ということも表明できないメディアって、本来の役割は何なのだろう。危機を感じさせないようにおちゃらけることか。
真剣に考えることを、揚げ足とったり馬鹿にすることか。
良くないよね。
何とかしないと。
普通の人が歴史を振り返って、じっくり現在を考えられるように、恣意的でも、強引でも、分かってる人たちが、もっと前に出ないと、ほんとに危ないよね。

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このページは、kyokotadaが2012年11月30日 12:19に書いたブログ記事です。

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