今日は野菜類を買った。
里芋、ごぼう、レンコン、たけのこ、きぬさや、大根、キュウリ、トマト、アボカド。
正月にはやはり、それらしいものを作る。
おせちは、みんなあまり喜ばないので、煮物とか雑煮、なます、寿司など。
我が家は酒飲みが一人もいないため、食べるだけで三が日が暮れる。
それでも、普段なら仕事で動いているのが、だら〜っとしているだけなのでお腹も空かないし、夜も眠くならない。
体調が悪くなり、機嫌も悪くなる。
それでもお正月は、何となく良い。
いい気持ちがするのは、子供時分の記憶が良いからだと思う。
私の家は本家で、父が年末年始の行事を取り仕切っていた。
暮れに御用納めをして、住み込みで働く皆さんが田舎に帰ると、しめ飾りを家中の要所に飾り、お神酒を上げる。
仏壇と神棚に灯りをともして、お坊さんがお経を上げに来、神主さんが祝詞を上げに来る。私たちはそのいちいちに付き合って、神妙に座ったり、柏手を打ったり。
大晦日には、年越しの料理を仕上げ、テレビを見ながらご馳走を食べ、年が変われば若水を汲み、雪の中を神社まで初詣に行く。
神社で年越し蕎麦をご馳走になり、家に戻って寝るのが深夜。
元旦は、起きて若水を頂き、雑煮を食べたら和服に着替えて年賀状を見る。
お年玉を頂く。
写真館に出かけて、家族写真を撮る。
幼い頃は、父の兄弟姉妹とその家族と、たくさんの親戚が泊まりにきていた。
二日になると書き初めをする。
父は書道の趣味もあったので、子供たちは皆書道教室に通わされていた。それでも、重ねて、いちいち筆遣いを指導してくれた。
三が日が過ぎると、もう働き出していたような気がするが、どうだったのだろう、いざ思い出そうとすると、記憶は曖昧だ。
正月休みはとても長かったようでもあり、飽きるほど長くはなかったようでもあり。
北海道は、冬休みが長く、三学期が始まるのは1月20日頃。
学校ではスキー教室があり、校庭にはスケートリンクがあった。
木造の校舎には朝行くと、いつも窓の隙間から吹き込んだ雪が積もっていた。
バケツを下げて、小使いさんに石炭をもらいにいく。
一日の石炭はすごく少なくて、燃え切るとあとは冷える一方。
ストーブの周りが温かいだけで、窓際の後ろの席などは冷蔵庫のよう。
それでも、寒いから学校に行きたくない、ということはなかった。
防寒具といっても、今のような立派なものはないから、せいぜいがジャンパーとゴム長靴。毛糸の手袋と帽子。
毛糸の手袋は雪を掴むとそれがだまになって残る。
繊維にへばりついた雪は、温かい部屋に入ると溶け、手袋は濡れたまま。
それをストーブのそばにおいて干す。
帰りまでに乾かないと、家に帰るまでによほど冷たくなる。
家に帰り着いてジャンパーや手袋を脱ぎ、ストーブで手足を温める。
子供の頃、毎日、手足は無感覚になるまで冷やされていた。
吹雪の日も、凍り付く日も、白い息を吐きながら、滑って転びながら、学校に通った。
自分の住む町が、特別に寒いということにも気づかないで。
外に出る際には、覚悟が要った。
生きて帰るぞ、寒さに負けないで学校に着くまで頑張るぞ、というような。
雪道を歩くのには技術が要る。
坂道ではその上に根性が要る。
気づかず、それでいちいち頑張る癖がついたのだろうか。
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