映画を見ようとしてザッピングしていたら、矢沢のドキュメンタリーに当たったため、そのまま鑑賞。若い頃はすごく嫌いだった。私のテイストではないし、不思議な感性だな、と。何が彼をこうさせているのか、と怪訝な思いがした。
けれど、ある時、自分と誕生日が同じだと分かって、その上よく人に騙されて借金まみれになっていると知って、少し注目するようになった。(書いてみると変な理由だな)
歌、うまいと思う。特に、リズムのあるロックンロール。今年の紅白歌合戦にもゲストで出たけれど、歌のうまさは圧巻だった。
鑑賞したドキュメンタリーでは、どれほど緻密にリハーサルし、個人の練習を繰り返しているのかも良く分かり、歌手としてかなり尊敬。でもやはり、私のテイストではないので何曲も続けては聴けない。
その中で彼が言った言葉「15,6の時にスコーンと来れたかどうかで人生決まるね」というのがすごく良かった。
15,6歳の時にビートルズを聴いて、何の疑問も持たずに「俺はこういうことをやろう」と決めたそうだ。
「スコーンと来る」というのがすごく分かる。
私はもう少し遅くて、18歳くらいだったけれど、やっぱりスコーンと来た。
友達と夏合宿に行く車の中でマイルスを聴いていた。
その時にスコーンが来た。
何かが理解できた。しかも身体的に。そしてそのことで私、大丈夫だ、と感じた。
時期は思春期でなくてはならない。
そして自分に起きた感覚が矢沢の言う「スコーン」だと自覚できなくてはならない。
それが起きた人同士は、あるいは、人にはそういうことが起こるのだと予測している同士はどこかで嗅ぎ合う。嗅ぎ合って仲間だと分かったりする。仲間だと分かっても離合集散はあるけれど、それでもその強度をいちいち確認し合う。
起きてしまったら仕方が無い。
それは良いとか悪いではなく、起きてしまったらそれなりに人生を過ごさなくてはならないのだ。それによっての甚大な被害を恐れず、孤独も受け入れ、ハンドリングする勇気を持って人生を過ごさなくてはならない。
周囲のアーティスト、ミュージシャンたちは、もれなくこれに当たっている。一度当たりはしたけれど、年を取るに従って次第に薄れて普通になって行くタイプもあり、逆に、絶対手放さないと言わんばかりに、果敢に挑戦し、増殖させて育てて行くタイプもある。
育てては不安に負けてちょっと引き、安全地帯で英気を養ってまた出張る、みたいな人もいる。私は結構育て上げるタイプだけれど、環境は広く取ってある。
そのように、スコーンは、時に劇薬的でもある。
思春期にスコーンが起こるのは、まだ、たくさんの余白が残っているからに違いない。真っ白なカンバスとまでは言わないが、「感動」という事態に対する処女性がある。初めては一度しかあり得ないので、それは、個人にとって絶対的なものとなる。以降は、恐らくバリエーション。
スコーンが遅れてやってくる場合もあるかも知れない。年齢の行った人で、カルチャーショックによって、身体が裏返るほどの価値観の転換が起きた、と語る場合もある。
スコーンのことを的確に言い表す言葉はあるのだろうか。
矢沢が、ビートルズに出会って「スコーン」と来たそのことを聞いた私が「スコーン」とは何かが分かったということで、それは必ずあるようなのだ。
何かに魅入られた人々の確実な理由として。
世界観の次元が変わるその瞬間の体験的インパクトとして。
人の感性の可塑性とその不思議さについて。
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