プカドン交響曲

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子供たちが幼い頃、家事などをする合間にビデオを見せていた。
ちょうど、レンタルビデオ店ができ始めた頃で、その品揃えに感心した覚えがある。
子供ともども特に気に入っていたものの中に、ディズニー初期のアニメーション群がある。
短編がいくつも収録された「シリー・シンフォニー」シリーズなど。
中に、「プカドン交響曲」という教育的な短編があって、それには私も感動させられた。

話は、楽器の起源から現在までに至る発展の歴史を上手に編集したもので、人類がどのようにして音楽を発見し、育て上げてきたかが分かりやすく解説されている。
この短編には確か、台詞というものが無かったように思う。
アニメーションとパントマイムと楽器の音。
それだけで、原始人からオーケストラの完成形までを見せてしまう。

話は逸れるが、音楽を続けている中で、映像による理解はとても大きい。
音楽史的な内容でいえば、映画で見た「パガニーニ」、「カストラート」、リュリが主人公の「太陽王」など、時代考証と心理的なドラマ構成で音楽の社会背景をしっかりと感じ取ることができた。
それら、音楽理解の助けとなった映像ものの中にこの「プカドン交響曲」も大きな位置を占めている。

さて、人はなぜ、音によって心を大きく揺さぶられるのだろうか。
このアニメでは、打楽器、弦楽器、そして木管と金管二種類の管楽器の原初と成り立ちを説明している。
興味のある方には実際に探して見て頂くとして、ここからはアニメを見た後の私の想像。

人は何かを叩いたり、はじいたり、吹いたりした時に偶然鳴った音を忘れなかった。
ある人が、枯れた木を叩いて割ろうとした時、思いがけず気持ちの良い音が出た。
あまりにも気持ちがいいので、再度叩いてみた。
するとやっぱり、まぎれもなく心が躍る。わくわくする。かつて感じたことのない思いだ。
それで、彼はその枯れ木を自分のものとして隠しておき、聴きたくなるとまたそこに出かけて叩いた。けれどある日雨が続いて、木はすっかり湿ってしまう。叩くとボコッと嫌な音に変わっていた。がっかり。しかし、そこで彼は乾いている時にいい音がすると知る。
別の場所でまた良い音のする木を見つけ、それを濡れない場所で保管する。大きさの異なる木、固さの異なる木を集めてみると色々な音が出る。面白いのでストックして仲間に聴かせる。仲間は喜んで手を打ったり、叫んだりする。

と、これだけでもう既に音楽になっているようです。

私には打楽器奏者の友人が何人かいる。
どなたも、数知れずたくさんの楽器をお持ち。
クラシックでも使われる太鼓類の他、金属系ならトライアングルみたいなものとか、マリンバなどの鍵盤類、普通の人でも見知っている形状のものはもとより、音響効果的なもの、さらにアジア、アフリカ、南米から買い込んできた色鮮やかなもの。例えば、獣の皮を使用しているため匂いがきつく、ビニール袋からなかなか出せない太鼓とか、ガサガサ音を出すための乾燥させたバナナの葉、これは使うたびに粉が舞い散る、などなど、じつにバリエーションに富んでいる。
中には倉庫を借りて大量の「いわゆる打楽器」を保管しているという方も。
つまり、打楽器は「叩いて」音が出れば即楽器になるという、大変シンプルなものなのだ。
動物の骨などでできたものも多いが、どの時代かに誰かが、人の頭蓋骨まで叩いたらしい。
だって木魚は、本来人の頭蓋骨だったということが分かる形をしている。
大きさの違う頭蓋骨を並べれば、音階らしきものも実現できる。

人は色々なものを食べて来たと同様に、色々なものを叩いてきた。叩き倒してきた。
叩いて興奮してきた。
音を出したり聴いたりすると、なぜ興奮するのかは謎だ。
食べ物の美味しい不味いを感じ取ると同様に、音を聴くと興奮したりしんみりしたりする理由は謎だ。謎だが、それは人類に無くてはならない「何か」であるらしいことは事実だ。

子供を育てると、思いがけずこういった文化に触れることになる。
アニメを見た後、子供たちも何かを叩いては「キャーキャー」言って喜び騒ぐのであった。
子供=原始人的。
長女などはそれ以前に、マイケル・ジャクソンがかかると、こたつにつかまり立ちして踊っていた零歳児ではあったけれど。

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このページは、kyokotadaが2013年1月 9日 10:49に書いたブログ記事です。

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