ジャズ・ボーカル担当

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ジャズ・ボーカルという言葉を聞くと、どんなことを連想するものでしょうか?
美人歌手、気怠い、ハスキー、お酒などかな。
日本のジャズボーカルは、これらを顕在させられる歌手を求めていたのかも知れない。
ジュリー・ロンドン的な。
でも、当の女性歌手たちは、そういう傾向を軽蔑してきた。
もう少し、真剣に音楽をしたいと考えていたのですよ。

「ジャズ」という言葉ひとつでも、ものすごく幅がある。
その「幅」がある、と言うことについてすら、一般には認知されている感じはしないが。

そう言えば最近、発祥の地アメリカで、ジャズの名唱ベスト50みたいのをやっていた。
ほとんどを占めたのは、ビリー・ホリディ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ニーナ・シモンだった。カーメン・マクレーが1曲も入らなかったのは、何かの陰謀だろうか? 他には、サッチモ、ナット・キング・コール、シナトラあたり。

何をジャズと思うかは、最初にジャズと触れ合った年代にもよる。
今ジャズを聴く人々の歴史は、戦後の進駐軍から始まっている。
米軍基地があちこちにできて、そこで兵隊さんたちが遊ぶ酒場ができて、日本人でジャズを演奏できる人が求められた。その音楽は、長く娯楽に対する我慢を強いられて来た日本国民にも大歓迎されて、ちょっとでも楽器が弾ければ仕事は山のようにあったらしい。毎日、東京駅にトラックが何台も来て、楽器を弾ける人を調達してはあちこちのキャンプに向かったという話だ。

その後は、大学のジャズ研がジャズメンの揺籃となる。
私が大学生だった頃、モダンジャズやフリージャズ、加えてブラジルもの、フュージョン、さらにR&B、ソウルが花盛りとなった。
ジャズ研のメンバーたちは、コンテストや交流会で知り合いとなり、上手い人同士がユニットとなってPit innの朝の部、昼の部に出演、そこで目をかけられて次第に上級バンドに引き抜かれて行った。

現在のジャズ界にいる方々は、ほとんど大学のジャズ研か、高校までについたプロの先生に勧められて留学した人々。今では音大でもジャズを教えるようになったから、技術がとてもしっかりしている。

さて、そこでボーカルなのだが。
ボーカルだけ、何となく活躍エリアが違う感じがする。
もちろん、ジャズ研出身者が多いとは思うけれど、日々の演奏場所がボーカル専用みたいな風になっている。セッションも、ボーカルセッションが別になっていたり。
つまり、ボーカルと演奏ユニットでは少し方向性が異なるみたいな気がするのだ。

ユニットで活動すると考えると、バンドの個性を出すためにオリジナルが多くなったり、あるいはアレンジメントしやすいナンバーに偏って、ジャズ・ボーカルの範囲に括られていたスタンダードからどんどん離れていく感じもする。

私は、当初からスタンダードとフュージョン系を両立していた上に、教える中で日本の曲にも取り組んだから、選曲はユニットのメンバーの個性によって色々にして来た。
ジャズは、曲のジャンルや種類というより、自由度や即興性という演奏の方法論で括られるべきだ、という理解をしてもいた。

けれど最近、ジャズを教えるなら4Beatを教えないとまずいだろう、と思い直している。
4Beatと2BeatとSlowの乗り方。
ビートこそが、教えておかなくてはならない最優先事項だ。

トニー・ベネットのデュエットシリーズには、ジャンルを問わず、名の知れた若い歌い手がたくさん参加しているが、若くても意外なほどジャズのビートがこなれている人がいる反面、「あれまぁ」と心配するほど乗れていない人もいた。その歌手は、記録映像の方には残っているが、CDには収録されていなかったり...。なるほどね。

ジャズはやはりどこまで行っても4Beatであり、スゥイングだ。
ビッグバンドのノリ、コンボのノリ、楽器とデュエットするノリ、全てに於いてビートを基本に据えた歌い様がある。そのことをボーカル講師として伝えられる人材が、ひょっとすると余り残っていないのかも知れないと思いついた。
スゥイングにも、歌手それぞれの掴み方や個性があっていいのだけれど、最近、ジャズを新しいものにしようとするあまり、軽視された部分がスゥイングではなかろうか。

8Beat、16Beatと、ビートが細かくなると、歌詞の歌い様は難しくなる。けれど、4Beatでは別の部分が難しい。バックのビートに乗るだけでは駄目で、バンドより先に、自分からドライブ感を出さなくてはならない。Slowの時はなおさら、どのようなリズム感、あるいは乗り方でフレーズを組み立てているかをしっかり打ち出せないと、バンドとのコミュニケーションが図れない。

スンダード・ジャズはシンプルだが、リズム、とくにダウンビートとアップビート、3連の理解や体感、音感、ハーモニー感など、音楽的な基礎力が問われる。楽曲の良さで糊塗できない、あっさりした素材しか無いものを凄腕で料理しなくてはならない音楽だ。
そこのところをしっかり教え、守らねば、と思い直している。
そのことだけを丁寧にやって歌手人生を終えても良いくらいに、もう一度、ジャズだなと。

もしかすると、上手い具合に肚が据わったかも知れない気分。

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このページは、kyokotadaが2013年3月 7日 16:49に書いたブログ記事です。

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