夢のサンフランシスコ

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サンフランシスコと言えば坂道に並ぶ美しい家々とケイブルカー。
サンフランシスコ湾にかかるゴールデンゲイト・ブリッジ。
そしてトニー・ベネットの名曲。

前回は大学生の頃だから、35年ぶりの訪問になる。
今回は、夫の仕事関係のツアーがあり、本番前後に自由時間がたくさんあるので便乗した。
公演はYosi'sという、日系の夫妻が経営するジャズ・クラブ。お洒落な日本食レストランも併設されている。オーナーのヨシエさんは、オークランドにも店を持ち、子ども向けのジャズワークも主催する行動派。日本のプレイヤーにも興味があるということで、我がレーベルの代表作を渡してきた。

サンフランシスコは、長くのんびりした観光地だったが、現在はスタンフォード大学やシリコンバレーを控えて、ビジネスやベンチャー企業のメッカとなっている。そのため、美しいアパートメントは軒並み家賃が高騰。ベッドルームとキッチンだけの部屋でも、25万円はするそう。よって、家を購入した方が減税措置で得になるよう計算されているとか。けれどそのローンの金利の乱高下の幅が日本とは桁違いで、経済のダイナミズムに対する意識の差に驚かされた。

街には、たくさんのホームレスが溢れていた。人種や階級をストリートによって棲み分けている感じだ。この通りには入らないで欲しいと現地の人に言われた道には、たくさんの黒人が所在なげに群れていた。それ以外の場所でも、交差点ごとにおもらいさんがたむろする。白人の乞食も多い。フィッシャーマンズワーフまで乗った路面電車で向かいに座っていた犬連れの白人女性ふたりは、瞳孔が開いていて、いかにもジャンキーな雰囲気を醸し出していたが、現地についてみるとおもらいさんに変身した。観光地に電車通勤している模様。

通りに寝ている人々やたむろっている人々の中には、明らかに戦争による傷痍を抱える人も多い。車椅子に乗っていたり、杖をつくたくさんの男性たち。
しかし、アジア系のホームレスや乞食がひとりも見当たらない。
人口75万人のうち、中国系や韓国系は20万人ほどいるらしいが、みんな良く働いているのだろうか。私たちの部屋のハウスキーバーは中国系の女性で、ほとんど英語が話せなかったけれど、明るい上機嫌な人だった。

サンフランシスコは気候が良く、教会の食事配布も充実しているのでホームレスにとってとても住みやすい場所なのだそうだ。確かに、暑すぎず寒すぎず、気前の良い観光客も多い。シリコンバレーでは毎日のように億万長者が生まれているし、信心深い人々も多そうだ。そう考えると行き詰まった人々が寄り集まってくるのも理解できる。

感心したのはストリートごとに高さや色合いをそろえた家々の美しい統率感。そして路面電車や観光バスをリサイクルでまかなっていること。路面電車は、イタリアや日本で使われていた古いものをそのまま再利用している。一台ずつ風合いが違っていてとても楽しい。二階がオープンになっている赤いバスはロンドンのバスの再利用らしく、車体にLONDONと書かれていた。
リサイクル、オーガニック、弱者救済と、市として徹底的にリベラル政策を貫いている信念が感じられた。

国家成立の過程で、奴隷や移民を労働者として使い倒した国は、そこから抜きん出て上昇する人々の稼ぎに支えられながら、落ちこぼれる人々を見捨てない努力もする。しかし、個人主義のためか、家族の紐帯や支え合いが弱いためか、努力以前に環境に負けて、その日を生き延びることにすら希望を持てない人々も多くいる。
アメリカ国家の成立過程そのものが性急で人工的だったために、避け難く負の遺産を抱え込んでいるということか。ただし、人々はそれが否定できない前提だとして、徹底したリアリズムを貫いているのだろう。

街を歩くにも警戒し、辛い人々を目の当たりにしながら成功を目指して生きる国。
危険を孕みながら、世界のリーダーであり続けようというリスクを捨てない、誇大妄想な責任感に溢れた国。
数日滞在するだけて疲れてしまう平和な市民のニッポンジンは、彼らから何を感じれば良いのだろうか。
これから何回か、滞在中に感じたことを書いて行きたいと思っている。

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このページは、kyokotadaが2013年4月24日 15:23に書いたブログ記事です。

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