心は察知する

user-pic
0
幼い頃から親に急かされていて、それが習い症になっていた。
常に何かを一生懸命していないと、あるいは合理的に進めていなくてはいけないと思い込んでしまった。だから、普通の心持ちというのが、つい最近まで理解できなかった。
リラックスという言葉の意味が分からなかったの。

現在はおそらく、普通の心持ちだと思う。
今日やるべきことをこなせば、それで良しとする。
過去には、およそできそうにない量の行動や考えをしようとしていた。

心は本当に不思議なものだ。
心のエネルギーというものを想定して、経済論的に捉える方法もある。
怒りや淋しさが心に溜まりすぎると、何らかの方法で発散される。
それが犯罪やトンデモ行動となったりする、というような。

そういう考え方を採れば、私の場合は、何かを察知すると、それが別の回路を通って出てきたりするような気がしている。
一昨年、大好きだったベーシストの是安君が急逝した。
その前の、共演最後のライブの時、なぜだか新曲がいっぱいやりたくなって、初めて歌うような馴れない曲ばかりやってしまった。
ライブ全体の内容は、メンバーに助けられたと思うが、私は一体何をこんなに「焦って」いるのか、と我ながら反省した。
その時には気づかなかったが、今思うと私は、是安君に対して焦っていたのかも知れない。

それは秋のことで、同じ年の春の震災の日は、午前11時に突然わーっと泣いた。
何の理由も無く、突然奈落に落ちたように辛くなって、どっと泣いた。
泣いてから不審な気分になった。
何が起こったのか?

その数日前から柄にも無くツィツターを始めていた。
お陰で、都内に取り残された家族と連絡が取れた。
予感の有無とかは、偶然に近い、後付けの思い込みだとも思うのだが、理屈に合わない変な行動をとることは割とある。

それで、私は今、自分の心持ちを不思議な気分で眺めている。
レッスンやワークショップ、ライブなど、いざ始まればドライブがかかってどんどんグルーブする。楽しいし、やりがいもある。
でも、他の時間はひたすらぼんやりしている。
全然切迫しない。
少しの欲もない。
できればこのまま田舎に引っ越して、ぼーっと暮らしても良いくらいの長閑さ。

一体、私に何が起こっているのか。
心は何を察知しているのか。
ひょっとして、引退するのか?

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://tadakyo.web5.jp/mt/mt-tb.cgi/399

コメントする

このブログ記事について

このページは、kyokotadaが2013年5月22日 15:17に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「人の数」です。

次のブログ記事は「セッションにて」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。