見えない痛み

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時々、よくんなに平気な顔で生きているなぁ、と感じ入ることがある。
言葉にしたり、物語にすると、人生はなかなか大変で、改めて点検すれば必ず、心のどこかがとても傷ついている。
けれど、こちらを傷つけた側に悪意があるかといえば、それはそうでもなく、ただ実力が無いだけという場合が多い。人を幸せにできる人は多くない。

誰もが精一杯、良いと思うことをして、でも互いが傷つく。
それは、生き物が他の生き物を食べないと生存できない仕組みと似ている。
共存は、他の生き物が元気に生きていることが前提で、けれども、その生き物たちを食べたり、利用したりしないとこちらの生存が続けられない。

自分をどのように大切にするのか。
自分はどこまで利己的で良いのか。
文化によってその程度の平均値がうんと違う。
人の物を盗ってでも、生き延びなくてはならない文化もあれば、人に提供することで共存する文化もある。それはあらかじめそこに備わっているパイの大きさや豊かさにもよる。

私たちはできれば、みんな仲良く笑顔で生きていたい。
けれど、立場が変われば、その笑顔を保証する物を得るために、誰かを追い詰めてもいる。

時々、しんどいな、と感じる。
生きている、そのことはとても、手強いことだ。
けれど、それを続けることは、ひたすら辛抱強く、投げ出すことなく続けるのは、なかなか良い仕事だ、とも思える。

面倒なことが多いのは、それだけ、私が関わる人の多様さでもあり、私とつながってくれる人の多さでもある。
その濃密な、連携の中にいられることを喜びたいと思う。
そして、見えない痛みは、その連携の中に少しずつ吸い取られていくのかも知れない。

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このページは、kyokotadaが2013年7月29日 11:27に書いたブログ記事です。

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