胸が熱くなること

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歌を教えていると、いろいろな生徒のいろいろな境遇と出会う。
どのひとりも、スイスイ生きているわけではない。

最近よく出会うのは、誰かに圧迫されているという悩み。
仕事場やグループで、神経がおかしくなりそうなほど傷つく。
話を聞きながら、彼女たちを傷つけている人のことを思う。
傷つけている人たちの切羽詰まり具合が透けて見える。
傷ついて、そこから離れたり、果敢に戦ったり、改善策を考えたりしている彼女たちよりもっと、崖っぷちにいそうな、傷つけざるを得ない、彼らのことを思う。
余裕のない立場のことを思う。

友達とか、家族とか、仲間たちの救いを得られない孤独を思う。
そういう周囲に助けをお願いできない孤独を思う。

昨日の帰り道で、闘病していた生徒に出会った。
「元気になりました」
と彼女はきっぱりと言った。
少し話して、互いに涙が出そうになって、手を振って別れた。
また歌いたいと言ってくれた。

そうなんだ。
みんなが口にする。
「歌うことで自分を素敵だと感じられる」と。
どんなに罵られても、バカにされても、「私、じつは歌ったら結構すごいんだ」と、心の中で唱えるんだって。そうすると、魔法のように自信が蘇る。

それでも、病気とか、対人関係では引き返したり、立ち止まったりしなくてはならない。
それは仕方が無い。
特定の一人のために成立している世界なんて無いのだから。

飽きずに、めげずに、自分からやりくりするしかない。
そう考えながら、私も長い間、自分で何とかやりくりしてきたなぁ、と感慨にふける。
憧れていたあれこれをするために、自分を変えながら、改善しながら、歩いてきた。
心理学も学び、セラピーを体験し、私に能力が「無い」わけではないことを信じて歩いてきた。

少しだけ、できるようになっている気がする。
曲を作ったり、罪障感なく音楽をすることが。
そういう、私だけの事情を音楽に込める。
不自由で、満たされず、障害の多かった私の音楽への道のりは、でも、見方によっては個性的でもある。

私独りによる、ひとつの作品のような人生となりますように。

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このページは、kyokotadaが2013年8月 6日 11:45に書いたブログ記事です。

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