子育てについて、成功だ、とか失敗だ、とかいう話題を聞くことがある。
中でも多いのが、
「親が甘やかしたから、失敗した」
「親が厳しすぎたから、失敗した」
という話題。
子どもの有り様は、親のせいかもしれない。
けれど、それだけだろうか。
我が家は、周囲から上手くいった典型のように誉められることがある。
たしかに、子供たちは碌でもない私たち親のことを責めることもなく、貧しい家庭を恨むこともなく、素直に成長して自立し、正社員として立派な会社で働いている。
逆に、私は、豊かな家庭に育って、物質的には恵まれていたけれど、心はいつも辛い日々を送った。
私にとっては心がしんどいことは何より嫌なことで、できれば楽しく、感動して日々を過ごしたいと願った。逃避かも知れなかったが、本を山ほど読んで駄文を書き連ね、音楽をたくさん聴いて演奏したり歌ったりした。その繋がりでできた友達は皆、家庭にいるときとは全く異なった楽しさを私にもたらしてくれた。絵描きや音楽家たちは、私の人生でたったひとつの依り代だった。
家庭では、私のような生き方は大変に間違っていることだったので、ひどく迫害された。兄弟は医者になり、いつも私を責めた。
「好き勝手していると、そのうち必ず痛い目に遭うぞ」
そんな言葉で脅されもした。
それでも私は、自分に相応の生き方をすることがベストだと、本能的に感じていた。
時が経ち、兄弟は自ら命を絶ったり、経済的に破綻してしまった。
暗い顔、辛そうな言葉...。輝かしいと予測された未来などどこにもない。
かつて、有名なホテルに地元の名士など何百人もの人を集めた結婚式を挙げ、オーダーのドレスや振り袖で華やかに挨拶していたはずなのに。
私の親は、跡取りたちには湯水のように財を注ぎ込み、ついに何もかも無くした。
持っていて与えないのは単なる意地悪なのだから、それで良かったのだろう。
勘当同然に暮らした私の方では、子どもたちは、高校生の頃からずっとアルバイトに励み、奨学金で学校を卒業し、堅実に結婚した。
だから、私の子育ての仕方は成功なのだ、と言われることがある。
母親がしっかりしているから、その背中を見て育ったとも言われる。
私は全く「しっかり」などしていない。
人が良くて、働いても働いても貧乏だ。
夫にも強いことなど言えないし、誰かを叱ったりすらできない。
幸運だったのは、貧乏だったけれど希望を抱き続けていられたこと。
少しずつでも文章を書くのが上手くなりたいとか、素晴らしい友達と共に演奏していたいとか、いつも希望を抱いていた。
子供たちにこぼしたり、追い詰める言葉を投げかけるのだけはしたくなかった。それは私が子ども時代に辟易したことだったから。そんなことするよりは、いつも楽しいことを探そうとしていた。
誕生日やクリスマスにはプレゼントを工面したし、必ずご馳走を食べた。お金がないときはカードローンで借りてでも楽しんだ。
そうしているうちに、今日まで来た。
子どもの成功など、少しも意図しなかった。
こうすればこう育つなど、意図してする余裕など全くなかった。
ただ毎日、食べて着て生きること。
今月を無事にやり過ごすこと。
日々、倒れず仕事を続けること。
それだけを目指して、計らう余裕もなく、ただ生きてきた。
だから、傍から見た結果で、誰かの子育てや事業を成功だ、失敗だと評価する気持ちはみじんも持てない。どの人も懸命に、日々、持てる力を振り絞って生きていると思う。ただ、それらが、たまたま環境の中でマイナスに働くこともあるのだ。
あらかじめ与えられるのは、扱いようによってはマイナス要因ばかりだ。
恵まれて見える人ですら、マイナス要因を数え上げられる。
だから、それを当然と受け止めて、微かでも光の方に顔を向ければ、必ず楽しみや喜びを探すことはできる。嫌なことを口にするよりは、元気そうにしていたいではないか。
愚痴を言う前に、素敵な人に見えるようにしたいと、次第にそちらに気持ちを向け始めた。
それが多分、私のプライドの性質だ。
そして、ひょっとすると、その一事だけが、私と私の子供たちを救ったかも知れない。
人生を操ることはできない。
ただ、今ここにある課題に対して、前向きに、誠心誠意取り組むだけ。
そうしていればきっと、それを分かち合おうとする人たちに恵まれるのだから。
中でも多いのが、
「親が甘やかしたから、失敗した」
「親が厳しすぎたから、失敗した」
という話題。
子どもの有り様は、親のせいかもしれない。
けれど、それだけだろうか。
我が家は、周囲から上手くいった典型のように誉められることがある。
たしかに、子供たちは碌でもない私たち親のことを責めることもなく、貧しい家庭を恨むこともなく、素直に成長して自立し、正社員として立派な会社で働いている。
逆に、私は、豊かな家庭に育って、物質的には恵まれていたけれど、心はいつも辛い日々を送った。
私にとっては心がしんどいことは何より嫌なことで、できれば楽しく、感動して日々を過ごしたいと願った。逃避かも知れなかったが、本を山ほど読んで駄文を書き連ね、音楽をたくさん聴いて演奏したり歌ったりした。その繋がりでできた友達は皆、家庭にいるときとは全く異なった楽しさを私にもたらしてくれた。絵描きや音楽家たちは、私の人生でたったひとつの依り代だった。
家庭では、私のような生き方は大変に間違っていることだったので、ひどく迫害された。兄弟は医者になり、いつも私を責めた。
「好き勝手していると、そのうち必ず痛い目に遭うぞ」
そんな言葉で脅されもした。
それでも私は、自分に相応の生き方をすることがベストだと、本能的に感じていた。
時が経ち、兄弟は自ら命を絶ったり、経済的に破綻してしまった。
暗い顔、辛そうな言葉...。輝かしいと予測された未来などどこにもない。
かつて、有名なホテルに地元の名士など何百人もの人を集めた結婚式を挙げ、オーダーのドレスや振り袖で華やかに挨拶していたはずなのに。
私の親は、跡取りたちには湯水のように財を注ぎ込み、ついに何もかも無くした。
持っていて与えないのは単なる意地悪なのだから、それで良かったのだろう。
勘当同然に暮らした私の方では、子どもたちは、高校生の頃からずっとアルバイトに励み、奨学金で学校を卒業し、堅実に結婚した。
だから、私の子育ての仕方は成功なのだ、と言われることがある。
母親がしっかりしているから、その背中を見て育ったとも言われる。
私は全く「しっかり」などしていない。
人が良くて、働いても働いても貧乏だ。
夫にも強いことなど言えないし、誰かを叱ったりすらできない。
幸運だったのは、貧乏だったけれど希望を抱き続けていられたこと。
少しずつでも文章を書くのが上手くなりたいとか、素晴らしい友達と共に演奏していたいとか、いつも希望を抱いていた。
子供たちにこぼしたり、追い詰める言葉を投げかけるのだけはしたくなかった。それは私が子ども時代に辟易したことだったから。そんなことするよりは、いつも楽しいことを探そうとしていた。
誕生日やクリスマスにはプレゼントを工面したし、必ずご馳走を食べた。お金がないときはカードローンで借りてでも楽しんだ。
そうしているうちに、今日まで来た。
子どもの成功など、少しも意図しなかった。
こうすればこう育つなど、意図してする余裕など全くなかった。
ただ毎日、食べて着て生きること。
今月を無事にやり過ごすこと。
日々、倒れず仕事を続けること。
それだけを目指して、計らう余裕もなく、ただ生きてきた。
だから、傍から見た結果で、誰かの子育てや事業を成功だ、失敗だと評価する気持ちはみじんも持てない。どの人も懸命に、日々、持てる力を振り絞って生きていると思う。ただ、それらが、たまたま環境の中でマイナスに働くこともあるのだ。
あらかじめ与えられるのは、扱いようによってはマイナス要因ばかりだ。
恵まれて見える人ですら、マイナス要因を数え上げられる。
だから、それを当然と受け止めて、微かでも光の方に顔を向ければ、必ず楽しみや喜びを探すことはできる。嫌なことを口にするよりは、元気そうにしていたいではないか。
愚痴を言う前に、素敵な人に見えるようにしたいと、次第にそちらに気持ちを向け始めた。
それが多分、私のプライドの性質だ。
そして、ひょっとすると、その一事だけが、私と私の子供たちを救ったかも知れない。
人生を操ることはできない。
ただ、今ここにある課題に対して、前向きに、誠心誠意取り組むだけ。
そうしていればきっと、それを分かち合おうとする人たちに恵まれるのだから。