kyokotada: 2018年8月アーカイブ

子供の頃から音楽と本が好きで、進路を決める際にも、音楽専科に進むか、文学部に行くか迷った。
バイオリンの先生や高校の合唱部の顧問の先生は、音大行けるでしょう、と言って下さった。
小学校の時分に国語の研究授業が有り、太宰の「走れメロス」を読み込んで感想文を書くという機会があった。その時は、担任では無い偉い先生が来て授業をして、たくさんの教育関係者が見学したのだが、私ともうひとりの感想文が選ばれ、朗読した。その先生は、特に私のものが気に入ったらしく「ぜひ、文学にお進みなさい」と仰った。

結局、音大のクラシックの厳しさにはついて行けないだろうと考えて、文学部を選んだ。
大学のゼミの先生は、ゼミ旅行の際に私が書いたものを気に入ったらしく、いつも、「論文ではなく散文を書いてこい」と注文され、卒業時には研究室に残って文学をしてはどうか、と誘って下さった。

しかしながら、私は音楽の方に心が動き、散文を書き散らしながらも、仕事は音楽にした。
子どもを産んで音楽を休んでいた間に、フリーライターのバイトを頼まれ、やってみたらさすがに上手だったらしく、次々と仕事が舞い込んで、子育てしながら死にそうなくらいたくさんの売文を書いた。著書が出たら、フリーライターの双六はそこで上がり、と言われるくらい大変なことらしかったが、バイト感覚でやりながら、著書やゴーストで書いた単行本は10冊以上ある。

そうしているうちにまた、音楽の仕事に舞い戻って、現在はジャズボーカリストで、ボイストレーナーとかジャズレーベルのプロデューサーとか音楽ライターもしながら、それらのための会社までできた。
どの仕事も好きかも知れない。

知れない、と言わざるを得ないのは、じつは本当に好きなのかどうか良く分からないからだ。
子供の頃の選択肢としては、他の勉強よりは、楽器を弾いたり歌ったり、本を読んだり雑文を書くのが好き、と言う気持ちだったのだが、それが全て仕事につながってしまうと、好きなのかどうなのか良く分からなくなる。

私の人生は大分特殊で、経験とか境遇というものが、ちょっと奥様たちの集まりに於ける茶飲み話などでは口にできないくらいシビアで、そのために日々、身の置き所をどうして良いのか分からない感じになっている。
好きだったはずのものを、全て趣味に留めず生きるための生業にしたのは、野心などでは全く無く、唯々、食べていくためだった。
女性の友達というのは、たいてい良く喋るものだが、私はあまり口を開けない。
いったん話し始めてしまったら、どの人に対しても負荷をかけてしまうような話をせねばならず、それなら黙っていた方がマシだろうと、口をつぐんでしまう。
大変な事態がひとつふたつならまだしも、いくつもあって、それをどうやって切り抜け、生き延びてきたのかすら、自分にも良く分かっていないのだ。

もの凄く大変なことだらけだったなぁ、そして今も大変だし...、と思うと、軽々にボランティアとか寄付とか同情とか思いやりとかには近づけなくなる。
なぜそうなのかは、自分でも良く理解できていないが、よっぽど大変な人は、まず自分の面倒を見なくてはならないはずだと、どこかで思っているのかも知れない。

私の周囲には、なかなかおねだり上手な人たちがいて、「これこれをして欲しい」というオファーは良く受ける。それが仕事につながったり、自分の興味深いことであれば一生懸命にやるのだが、その逆として、私から「これこれをして欲しい」とお願いすることはほとんど無い。して欲しいことはあまりに基本的、根源的なことで、お願いして断られるとこちらの落胆や疵が大きすぎるからだ。意を決して口にして、断られ、打ちのめされたこと数知れず。
私は、よっぽど理不尽なことで無い限り、何でも頼まれたらしてみよう、取り組んでみようというタチなので、断られるとびっくりする。そんなに私を楽にさせるのがいやなのだろうか、と悲しくなる。けれど、私の人生はいつも、そういう巡り合わせに終始している。

時々、自分の人間性のどこかに欠落があるか、病的な要素があって、それでこんなに困難なのかと考える。病的なのは解っている。家族自体がそうだったのだ。けれど、そこにとどまらないように、人について学び考え自分を変えもしながら懸命に生きてきた。神経症からは脱却できたと思うし、なかなか大変な仕事もこなしてきたと思う。何より、子ども3人をほとんど自力で育て上げた。

それでも、まだ自分に不満が残る。もっと闊達で可愛げがあり、楽しい人になれないものか。表情が無いとか、堅いとか、暗いとか言われずに済む人になれはしないか。

そろそろ、また書いておきたいのかも知れない。どのように育つと、私のような人になってしまうのか。どのような疵や負荷が、人を苦しめ続けるのか。それでも、人は成果を残すこともできるし、それなりの感動を分かち合うこともできることを、同じように疵や負荷を受け取ってしまって、生き辛いと苦しんでいる人に伝わるような何かを、書いておきたいのかも知れない。

私は幸いに、家族にすら、その苦しみを投げつけないで済んでいる。それを可能にできるほどの力を持って生まれたことを、いつも感謝している。

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