kyokotada: 2018年11月アーカイブ

自分の生い立ちや境遇について考えすぎるときは、たいてい迷いがある。
上手くいっていない感というか。
これが絶対に素晴らしいはずだと、確信の持てるものを出せていないとき、心は右往左往する。

ジャズを歌うということに、大分戸惑っていた。
歌い始めた頃の愛、それらの音楽がとても好きという想いは、少しも減っていないのだ。
それでも、ライブでお客様の前で歌うとなったとき、違和感があった。

それは言葉の問題。
音として聴く音楽はたくさんあり、海外の歌を聴くのに馴れていれば、サウンドやリズム感、歌手の人となりやムードだけで充分満足する。
詞の内容に踏み込まないままで、感動することもできる。

けれど、私の手の中にあるものだけで何かを表現しようとして、その品数の少なさに戸惑っていた。
いや、きっと品数は多いのだ。
ただ、それらを料理し直して提供するその手間に躊躇していた。

クリシェから離れると、たくさんの指示とリハーサルが必要になる。
私がお願いして、快く、あるいは渋々でも、楽しくつるんでくれる人はいるだろうか?

いざやってみたら意外にすんなりと運ぶのかも知れない。
多分、必要なのは勇気だけだ。

誰とどんなことをしたいのか、ずーっと考えている。
惰性にならないように、お仕事にならないように。
予想では、はっきりとした形にするまで、数年かかる。
けれど、今更と思ってはならない。
今分かったのだから、今から始める。

それを成し遂げたら、私はとても満足する。
そして、幸福な人生だったと、自信を持って言えるようになるのだから。

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