日記: 2010年7月アーカイブ

本業

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 映画監督には、何年も映画を撮らない人がいる。

 私は、そういう人を見て、それを本業というのだろうか...と感じた。

 しかし、現在の私は、本業が何なのか、全然分からない状態になっている。

 何が、本業なのだろうか。

 

 歌手だとすれば、それは月に12回しかライブをしない歌手。それも、ライブのギャラがあまりに安いので、ついミュージシャンに全額あげてしまう。

 歌の先生、といっても、それほど大々的に生徒募集はしていない。来てくれる人には教える、というスタンス。そういう私のラフさが災いしてか、平気で前日や当日にキャンセルする生徒、グループ指導を休む生徒が含まれる。

 音楽教室も、「何か仕事ないかなぁ」といっていたミュージシャンに、習いたい人がいるよ、と声をかけて、募集チラシを作ってあげる。

 プロデュース業は、やろうと思ってやったわけではなく、レコーディングをしたい人、リリースしたい人を世話しているうちに何となくそういうことになった。スタッフの鴨下嬢が、メジャー級のデザインや広報をするお陰で、女子2人で細々やっているレーベルと思われないことが多く、分不相応な宣伝費の営業を受けることがたびたびある。

 実体は、町の煙草屋程度の売り上げではないかと思うのだ。

 企画に至っては、「町で音楽祭をしたい」、「フリーペーパーを作りたい」、あるいは、「このような本を出版したい」、「何か音楽の楽しい本を考えていただきたい」などと頼まれるうちに、色々なことになっている。

 そして現在ついに、

「わたしはいったい何なんだ?」と、変な気持ちになっている。

 

 ここ一週間は、アルバム制作をする方の家に、録音機材を持ち込んでのレコーディングに、ずっと立ち会っている。

 どのテイクが良いとか、上手くできない部分をどうしようかとか、疲れたけど頑張りましょうとか、そろそろおやつにしようかとか...。

 レコーディングは、いつも楽しい。

 人様のことでも、自分のことでも。

 

 しかし、もういいかげん、自分のことをしなくてはならない、という気がする。できないのは、親切すぎるから、というよりは自分を大切にしないからだ、と思えてきた。

 今、歌が良い感じだ、と自分でも思うので、1011日に生徒発表会をしたら、その後は、自分の制作に充分な時間を宛てようと思っている。

 この生徒発表会もものすごい大変。

 全員のアレンジ譜を作って、ミュージシャンをブッキングし、リハーサルして、本番の仕込みである。

 また多分持ち出しになる。

 それでも生徒の皆さんから頂く参加費は、「結構高くない?」くらいに思われているに違いないので、報われない感が強い。

 

 疲れて呆けようとしても、「アルバム作りたいなー」というミュージシャンが次々に現れるので、その誘惑も心配だ。

 だって、まだまだ、レコーディングしてみたい良いミュージシャンがたくさんいる。

 コンサートやイベントの企画なんかも、「君たち、そんなんじゃ宝の持ち腐れよ」と感じて考えてあげちゃうアイディアなどがあるので、またお節介をやってしまいそうな気がする。

 

 しかし、このままでは、5年後になっても、

「わたしはいったい何なんだ...」

と呟きながら、呆然と突っ立っているに違いない。

 

 予定に優先順位をしっかりつけないといけません。

 でないと、人の世話ばかりして人生が終わってしまう!!

 スターウォーズの一挙放映特集を観て、「凄い!、やっぱりハンパなく凄い」と感嘆した。最初の「ジェダイの復讐」は、ロードショーで観た。テアトル東京だったかな。あの時の、口あんぐりしかできない驚きは、その後のアメリカン・エンタティンメントにやられっぱなしの時代の幕開けだったような気がする。

 

 これだけのものを作るのに、どれほどの労力が注がれているか、想像するだけで気が遠くなりそうだ。

 

 若いときに創りあげた壮大な「物語」があり、それを脚本化して映像化する。 ジョージ・ルーカスの生涯は、ほとんどそれのみに費やされている。

「物語」は、小説にはならず、映画になった。

 小説はひとりで書けるが、映画には限りなくたくさんの人々の叡智が必要とされる。そこで、新たな職人やアーティストが発生する。それまでは、アイディアや夢想でしかなかった技術が、具現化する場を得る。

 ビジョンを顕在させること。

 このシリーズが発想されたお陰で、映画界のみならず、メディアの全て、そして人々の内部にも「できること」の種類や内容が飛躍的に増えたのである。

 開発されたそれらの技術は、急激に可能性を広げた。

 夢でしかないと思われた映像を、実現する技術。

 技術を知ってから発想される新しいアイディアは数知れないだろう。

 そのように、技術のみを借用して作られた膨大な数の作品には、しかし、二流の感拭いがたいものが多い。

 つまりは、最初にルーカスの中あった「物語」の水準こそが全てを決していたことを知るのである。

 はじめに言葉ありき。

 言葉が世界を作り始める。

 言葉、ひいては物語が、クリエイターやアーティストの想像力を喚起し、膨張した果てに特殊メイクやロボット制作、CG、音響など、あらゆるテクノロジーの可能性を押し広げた。

クラウドのように彼らの意識の上空に発育し続けた「宇宙を舞台とした壮大な叙事詩」の共同幻想が、ルーカスの実際的な指揮の下、急激な勢いで進化し、具現した。

奇跡のようなこの出来事が実際に起きた、めくるめくスリリングな時代性こそ、私達の個性なのだ。

 

「スター・ウォーズ」に驚いた頃は、音楽界も素晴らしかった。

 次から次と、それまで耳にしたこともない音楽が溢れだしていた。

 マイケル・ジャクソンはもちろん、スティーヴィー・ワンダー、ボブ・マーリィ、アース・ウインド・アンド・ファイヤー、クインシー・ジョーンズ、チックやハンコック、ミルトン・ナシメント、フローラ・プリン、ウェザー・リポート、スタッフやボブ・ジェームス...And More...。

 中心的な存在だけでこんなになる。

 ほんとうに数え切れない数の凄い人々。

 そして、若かった私はいちいち興奮していた。

 ひとつずつが確実に個性的で、その周囲にさらに少しずつ個性を異にするたくさんのプレイヤー、アーティストがいるのだ。

 この先は一体どうなるのだろう??

 

 けれど、その一方で、これが究極かも知れない、という思いも抱いた。新しいものはもう限界まで出尽くした。

 その後に続いたワールド・ミュージックが、マニアックな範囲に落ち着いていることを見ても、世界に埋もれていた個性的な音楽は出尽くし、ある意味標準的なプラットフォームを通過して、消費されたと考えてしまう。

 クラシック音楽が、20世紀初頭に、絶対音楽として最大の構築に至り、その後は観念的な芸術音楽になりつつあるのと同じく、アメリカン及びブリティッシュのポピュラー音楽は、20世紀終わりに完成を究めたような気がする。

 

 再生するハードが充実した今は、過去の遺産としてある優れた作品を消費する時代だろうか。コラージュされ、デフォルメされた素材としての遺産が蕩尽された後に、全く新しい方法を携えたアートが頭をもたげてくるのかも知れない。それは、映画とか音楽とかアートとかに分類されるものではない何か。

 

 と、ここまで書いて、当初に書こうとしたテーマと大きくずれていることに気がついた。これ、まさに、ロラン・バルトのエクリチュール論をそのまま。

はじめは、「しつこさの美点」について書きたかったのに、つい色々な連想が入り込んで、音楽論になってしまった。

 

 ここで突然ロラン・バルトが出てきたのは、今「現代思想のパフォーマンス」(光文社新書)という本を読んでいるからで、これはソシュール、バルト、フーコー、レヴィストロース、ラカンをとりあげて実践的に理解しよう、というもの。

 私は大学で、ちょうどこの辺りの思想を扱うゼミにいた。

 とくに、レヴィストロースは「悲しき熱帯」が未訳だった時に、フランス語で原書講読させられ、ちいとも、どころか相当わからん状態を経た(後に川田順造氏が翻訳)

 この世に、これほどわからんことがあったことに、呆然とし、その後、ちょこっと精神医学方面に入り込み、しかし、ソシュール...現象学とかが不意に意識に上ると、当時わからんかったことが気になり続け、本屋の棚にその手の解説書があるとついつい買ってしまう。

 その結果、今では随分わかってきたような気がする(気のせい?)

 そういう自分を振り返って「しつこい」と思うのである。

 ジョージ・ルーカスが人生をかけて、若い頃に書き上げた叙事詩を映画にする姿勢を見て、「人生にしつこく取り組みたいネタがあるって幸せかも...」と思ったのだった。

 また、私は自分が、「それにしてもかなりしつこい」とも思った。

 でもこのしつこさ、ストーカーにはならないで、音楽や思想に向かっている限り、美点かもしれないでしょ。

 あぁ、やっと、着地した...かな...?

 

 子どもの頃から、自分の外にはなかなか手強い世界が広がっていて、それに押しつぶされないように、または負けないように生きなくてはならないのだ、と感じていた。

 なぜそう感じたのかといえば、時代と親世代の戦争神経症のせいだと思う。

 子育てしたり、フリーランスで仕事をしたりする中では、ある程度その危機意識みたいなものが役に立っていたのかも知れないが、そうこうしているうち、随分世の中の見え方が変わってきた。

 競争でもなければ、闘いでもない。

 他者と競うときは、ルールがあるべきだし、競っているという自意識がなくてはならない。

 それでも、スポーツでもない限り、ルールが明確なゲームというものはそんなにあるものではなく、私は今あなたと戦っているんだ、という自意識を持つ人も少ない。

 日本が平穏だから、油断しているんじゃないの、と言われればそれまでだが、私の人生はその平穏な日本に於いてもなかなかシビアだったので、必然、自分は人生と、あるいは世間と競い、戦っているつもりでいた。

 それが、ある日ポンと広い野原のような所に出た気がして、あらま、どうやら人生は、闘いや競い合いが基底にあるものではないらしい、と気づいたのだ。

 では、どんなものかと問われれば、好き勝手に生きている人たちが、たまたま出会ったり別れたりする場、とでも言おうか。

 各々の好き勝手を、縁あって出会った互いがどのように解釈するかが、出会いに対する充実感の分かれ目。

 自分は自己中心的に美しく生きているなぁ、と瞬時にでも感じられれば、大成功の人生だと思われる。

 自己中心は、「ジコチュー」とか呼ばれて忌み嫌われる側面もあるようだが、私は自分を惜しむことに決めたので、自己中心を忌み嫌う人たちとはつるまないことにした。

 自己中心で生きるにはそれなりの修行が必要だが、熟練すると大変すっきりする。要は、他の人から見て分かりやすい人になればいいのだ。

 世界に自分を惜しみなく与えよ!! かな...。

いつの間にか...

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 中学高校からアート関連好きで、暇さえあれば本を読んでいるか、歌を歌っていた。

 「わたし、どんな大人になるのだろうか...」

 とぼんやり考えるとき、何か好きなことがひとつでもできていればラッキーだ、と思った。

 大学を出ると、しかし、人生設計というものはシビアだった。地元に帰るか否か、就職するか否か、結婚するか否か、選択肢はあみだくじのように次から次から現れた。

 その都度「勘」で生きてきた。歌手をやってみて、自堕落で世間が狭くなりそうな自分に戦き、結婚して子供を作るとその責任の重さに戦き、生活の肉体的なしんどさに驚き、知らなかった社会の広さに感心し、やりたいことの多さと気力体力のアンバランスに苦労した。

 ただもう、目の前に現れることを必死にこなしてきただけなのだが、気づくと、子どもの頃夢見たより以上、当時には想像もつかなかったたくさんの仕事をしている。

 いつの間にか、気づかないうちに、周囲は素晴らしく豊かになった。

 この魔法のような出来事を、私は誰に感謝すればよいのだろう。

地図を買った

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  ワールドカップサッカーを見ていて、ウルグアイとかパラグアイとかとペルーやブラジル、アルゼンチン、そして私の好きな作家ガルシア・マルケスの故郷コロンビアやチリなどが、南米大陸に於いてどういう位置関係にあるのかが知りたくなり、日本及び世界の地図を購入した。

 南米の位置関係については、さほど予想と違わず、「ふむふむ」と見たのだったが、驚愕したのがヨーロッパである。かつて、ユーゴスラビアだった場所が、現在は7つの国に分かれている。紛争地帯であることは知っているが、こんなに細かく分かれなければならない民族、あるいは宗教事情を思って、何とも複雑な気持ちになった。

 日本は島国だから、近隣の国々と袖を刷り合う頻度が少ない。だから、なおさら、「海外」という言葉のまま「外国」を感じている。海ひとつ隔てて刷り合う袖は、地続きに競べるとそれほど痛くはない。

 ヨーロッパの地図をつぶさに見ていて一番驚いたのは、フランスとスペインの国境上に、アンドラというちっちゃい国があったこと。何これ、誰か知ってた?と大騒ぎしてしまった。

 地図は、国単位から、地域単位に縮尺が変わり、さらに詳細なサイズへと移っていく。それでも、町の地図には届かない。その中に住む、人々までには届かない。それほど、世界は広く、多様だ。

 世界の人口は、中国とインドの2国だけで 24億人あまり。両国はそれぞれ10億人を優に超えるが、3位の米国は2億人台。この差、この人口力は本当にすごい。話しによると、国籍を獲得していない隠れ国民を入れると、両国の人口はさらに増えるのだとか。

 私が学生で、社会科で地理を勉強せざるを得なかったときに較べ、国の数は倍以上に増えている。この先も世界の「地図」はどんどん変化し続けるのだろう。多分、さらに小さな独立国へと分かれながら。

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