エッセイ: 2008年8月アーカイブ

 何となく、仕事がらみで新しいことを調べ始めると、向こうからそれにマッチした人がやって来るみたいなのだ。
 今回は、建築のことを調べ始めた時に、昔からの歌の生徒が数年ぶりに訪ねて来て、婚約者の話などをして行った。
 その婚約者という人が、建築家なのでホームページを見てみたら、とても面白いデザインをしている事務所で、さらに、私が今取り組んでいるテーマにぴったりのものが製作されていた。
 どこをどう押せば、そのように、「待ってました」と大向こうから声がかかるような出会いが近づいて来るものやら。  不思議である。

 別の日には、私が長く通っている池尻大橋の心理学研究所のそばに、洒落たお家カフェができたので、中に入ってみると、色々と音楽関係のフライヤーが置いてあり、それを貰いがてら、うちのショップカードを置かせてもらうことにした。
 貰ったフライヤーを、スタッフにこちゃんに見せたところ、知っているバンドがいくつかあり、湘南の知り合いのカフェやなんかとつながっていそうだということだ。そのうち、あれまあ、あなたも知り合いだったのぉ、的に、またしてもどんどん輪が広がって行きそうな気がする。

 スタジオができてから、知り合いの知り合いが、また知り合いを連れて来てくれたり、それがまた別の人の知り合いだったり、そればかりか、偶然田舎が一緒とか、田舎の高校で先輩後輩だとか、同じバンドにいたことがある、とか面白いほどにご縁がつながり続けている。

 音楽の世界は狭いからねー、と言ってしまえばそれまでだけれど、狭いのならとことん、みーーんなと知り合いたい。ジヤンルだって、私はジャズだが、時にはヘヴィ・メタルから、フォークの弾き語り、邦楽、民謡まで各種の人々がやって来る。そしてみんなで、色々な話をするととても刺激的だ。
 人が集まり、つながり始めると、それはそれはすごい。チェンバロの製作者の工房に行くと、そこで作った楽器を持っている古楽のハープ奏者は、私の近所に住む知り合いであることが判明したり...。そういうことは誠に楽しい。

 もっと色々広がって、いつものように変なことをたくさん考え、突然思い立って企画し、誰も耳にした経験の無い、だがしかし決してキワモノではない、中身の充実した価値ある音楽をいっぱいプロデュースしたいと思う。

 だって人はつながり、つながる。果てしなくどこまでも、世界中の音楽家やアーティストはどんどんつながり、つながるのだ。 
 「女性に年齢を訊くのは失礼」とか、「女性の年齢を公表すべきでない」という意見がある。
 しかし、わたしはいつも1955年生まれということを発表してしまう。
 なぜならば、その年生まれにしかあり得ない、同時代性が存在すると信じているからだ。同世代の友人には、メール・アドレスに55という数字を使う人が結構いる。
 55=Go Goという語呂合わせもできる55年生まれは、ちょっと面白いのだ。
 アップル・コンピュータのスティーブ・ジョブス、マイクロ・ソフトのビル・ゲイツはともに55年生まれ。
 この年生まれが、世界を変えたと言っても過言ではない。
 しかし、ビル・ゲイツが引退したように、私自身はもう細かい仕事は疲れて無理、という気がしていた。
 執筆や楽譜を書くのがとても億劫な日がある。
 それは、年齢のせいだろうと思っていた。
 だが、今年の歌舞伎座8月公演、野田秀樹と中村勘三郎が組んで、オペラのアイーダを下敷きにした新作が上がるという新聞記事を読んだとたん、元気が湧いた。
 じつは、この2人も55年生まれ。さらに、今後にわたるその旺盛な制作活動を垣間見て、私もまだできるかも、と思えたのだ。
 早速調べたが、芝居は完売で見物叶わず。
 次の機会は逃したくないぞ。

   55年生まれは、今年53歳。
 政治家ならまだまだ若い。
 うん、考えようでは、私もまだまだ若いかも? 

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