エッセイ: 2006年4月アーカイブ

 クラシック音楽の書籍を書いているため、日々、クラシック音楽漬けである。
 あれこれ聴いていると、だんだん特定の作曲家とか演奏家の存在感がクレッシェンドしてくる。
 期間限定マイブームみたいなノリ。
 今のところ、ブラームスとエルガーがお気に入り。
 加えて、シベリウスとプーランク。

 今朝、NHKのBSでN響定期を見ようとしたら、何とブラームスのピアノ・コンチェルト第2番だった。
 しめしめと思ったが、あまり期待はしなかった。
 なぜかこれまでコンサートでも放送でも、ピアノで深く感動することがあまり無く、もしかすると私はピアノと相性が悪いかも、と思っていたからだ。
 大きい男の人がガンガン弾くのは嫌い。
 神経質そうな女の人がキリキリ弾くのも嫌い。

 それが、今日のピアニストは違った。
 マルティン・ヘルムヒェンという、まだ24歳のドイツの若者。
 まず姿がかっこいい。
 若き日のブラームスってこんなだったかも、とか思った。
 髪はメンデルスゾーンみたい巻き毛で、柔和で、繊細そう。
 その彼が、「えっ、年いくつ?」と確かめたくなるような、抑制の効いた、それでいてしっかり弾き込むところは深い、心地よいブラームスを聴かせてくれたのだ。

 私は、ジャズでもポップスでも何でもかんでも、生涯にこれだけは何度も聴く、というアーティストが凄く少ない。
 だからいつも、繰り返し聴きたいアーティストを探している。
 好きなシンガーやプレイヤーでも、何度も聴きたいアルバムって少ないんですよ。
 トホホなくらい。
 これは、私の偏狭でしょうか?

 クラシックの場合、作曲家とプレイヤーの相性もあるので、出会いを捜すのはさらにめんどい。
 モーツァルトのピアノ・コンチェルトならこの人の指揮でこのピアノ!!みたいにどんどん贅沢になって行く。
 でも、「あっ、これ好き」というものに出会った時の感激はえもいわれず。
 ついつい、人にもご託を垂れたくなってしまう。
 (私にご託を垂れてほしい人は、来て下さい)

 ブラームスは、色々なことが見えていたのだな、と思う。
 「バッハやモーツァルトやベートーヴェンが成してしまったこれだけの仕事の後に、この凡才の俺はどーすりゃいいの。ピアノ上手くたって、多少作曲できたって、彼らに匹敵するほどのものすごい天才じゃないし...。何か意味あるのかナー、この俺が曲書いて。いいのかなー、曲書いて誉められたりして。何か違うよなー、だって俺天才じゃないし...」
 と思って生きていた。多分。
 さはさりながら、やはり生きていれば何かしないと、ということで、突き詰めまくった先にあったのは、地道ということだった。
 「天才じゃないからさ、奇をてらったり、売れ線を狙ったりできないのね、俺はそういうジコチュー性格は嫌いだから。だって、天才じゃないヤツらが、そういうとこだけ天才風に振る舞うの。あーーー、嫌いだ!そういうの」
 というわけで、ブラームスはすごく人当たりが悪く、毒舌家で、孤独な人だった。

 でも、私はそういう気分がものすごく分かる。
 こつこつやるしかないっしょ。
 と思う。
 本書いても、何の役に立つのだろーか。
 ゴミを増やすだけじゃないのか。
 さはさりながら、書かねば生きて行けないし。
 うた歌っても、何の役に立つのだろーか。
 さはさりながら、いいといってくれる人もたまにはいるのだし。

 その心で生きていると、地道というものの凄さに目覚めてくる。
 取るに足らない人生かも知れないけれど、地道に突き詰めて手を抜かずこつこつやれば、きっと誰かが微笑んでくれる。

 鬱々としている。
 春は木の芽時と言って鬱病の季節である。
 おまけに更年期障害かも知れない。
 さらに、仕事がヘヴィ。

 どうしてこうなっちゃうのかなぁ、と考えながら、もしかすると私は感動アデクションかも、と思った。
 感動すると、アドレナリンがどばっと出る。
 頭の中には快感を呼ぶ化学物質があって、それが出なくなると禁断症状が出るのだ。
 パチンコ中毒とは、7が3つ並んだとき(違うかも?やったことないので)にどばーーーっと快感物質が出て、そのイイ気持ちを再体験したいという欲求に負け続けている人のこと。
 ドラッグで考えると分かりやすいけれど、日常の色んなことでもこれが起きている。

 たとえばi-podや携帯電話、テレビに活字。
 コーヒー、タバコ、アルコール。
 お喋り、電話、ネット、メール。

 おおー、みんなして色々なものに依存している。

 私は、人前で歌ったりする。
 あるいは本を書いて出版したりする。
 それはものすごいプレッシャーなのだけれど、達成感というものがある。
 刺激もある。
 感動もある。

 すると、いつもそれが続いていてほしいと感じるようになるらしい。
 けれども、どーやら体力がついていかない。
 ライブをするには、その日までに準備すべきことが膨大にあり、練習やら歌覚えにはかなりの忍耐と集中力を要する。
 本を出すのだって、毎日コツコツ資料を当たり、原稿を書いて半年がかり。
 そしてついに成し遂げた後には、達成感と引き算するとカスも残らぬといった抜け殻のような私がおるわけで...。

 ピアノの由美子さんは
 「いつも盛り上がってたら疲れるよ」
 と言った。
 名言である。
 しかし、私はアデクションなので、アドレナリンの出る機会が減ると激しく鬱っぽくなる。

 友だちと酒を飲むとか、お喋りをするとか、セッションするというくらいでは、とうてい納得行く量の脳内物質が出ないわけで、もっとすれすれっぽい、スリリングで気が遠くなるような出来事がないと元気でおれない。

 外人部隊に入ってみようか。

 役に立たないか...。

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