エッセイ: 2010年6月アーカイブ

  誰ものでもない土地には、献品台のようなものがあって、通りかかった部族の男たちが、そこに捧げものを置いてゆく。

 誰のものでもない土地、No Man's Land

 広い草原の、なぜだかそこだけ樹木が生えていない空間。そこに、木で作られた餌台のようなものがある。

 ある部族が置いてゆくものは、別の部族にとっては未知のものである。しかし、ある時、通りかかった男は、その置き土産を何かの役に立つと直感して道具入れに放り込む。彼の道具入れはそれほど大きくないため、このところさっぱり出番の無かった別の道具は、不要かも知れないとみなされ、頂いた道具の代わりにその餌台の上に置かれる。

 そこに、また別の部族の者が通りかかり、不要品とされた道具を見る。彼も、それが前に通りかかった何者かからもたらされたものであり、いずれ何かの役に立つことだろうと直感する。そこでそれを取り、また別の何かを置いて去る。

 

 「もたらされたモノ」という概念は、人間にしかない。

 ここにはいない誰かを想像するという、過去を思い起こす力。

 そして、いずれ何かの役に立つだろうという未来へと向かう空想もまた、人間にしかない。

 これらの特別なアイディアが、人間という種の始まりにある。

 ブリコラージュ。

 この働きをそう呼ぶのだそうだ。

 

 私にとってのブリコラージュは何だろう。

 試しに最も苦手な「怒り」という感情としてみようか。

 「怒り」という感情を、わたしは長いこと「忌避」していて、その感情を制御できない人を軽蔑もしていた。

 当然の事ながら、私の周囲には、いつも怒りがあったが、それは、私にとって意味も無く特別に悲しいことだった。

 互いが思いやることなく、要求がましいばかりであるとき、私の心は痛む。

 甘えはまだしも、要求となると、事は残酷だ。

 誰かが、誰かのために打ち出の小槌であるとき、あるいは打ち出の小槌にされるとき、生け贄となる誰かは、奴隷のようにせかされ、使われ、搾取される。いつしか、彼または彼女は、その役割のためにしか存在できないと思い込んでいく。甘えるどころか、恫喝して恥じない人々によって、正当に怒る力すら奪われて...。

 私の怒りは、無能なる人々のために生け贄となってしまった「優しい人々」に向けられる。働き者は、皆に富を分配したのだから、それなりの権力を堅持すべきだ。

 それを放棄する人を、私は怒った。

 

 しかしその時はまだ、恫喝と怒りが別の働きであることを、私は理解していなかった。そのために、人生の半ばまで、自分の怒りを点検し封印して、じつは「優しい人」当人によって行使してもらいたかった怒りを諦め、あらかじめ無いものと仮定した世界で生きようとしたのかも知れない。

 思い返すまでもなく、分不相応に肥大した甘えはそこら中に充満していた。

 思い通りにならないのは、「誰か」のせいであると皆が声高く叫び交わしているように見えた。

 その「誰か」が他でもない「私」であるように、私の耳にはそう聞こえた。

 多くの人の暴力的な甘えを、力のあるものが吸い上げ、分別し、怒りとともに無意味化すべきだったが、「優しい人々」にはそれができないのだ。

 膨れあがった甘えの澱は、そのまま私の足下に汚泥として流れ寄り、私は怨嗟と妬みの渦の中で窒息しかけた。

 

 ふと気がついてみると、怒りは、No Man's Landに置かれていたのだ。

 何度通りかかっても、わたしはそのツールしか認められず、それが私には疎ましいものだったため、いつも底知れなく絶望して泣きながらそこを去った。

 けれどもある時、ついに私は、それを手に取らざるを得なくなった。それは恐らく、私の中に新しい力が必要となったからだ。

 私は、古い自分に対する怒りを手に取って食べ、飲み下した。私ははじめて激しい怒りの嵐を体験し、しかしついにそれが、怖れるに足らず、封印すべきではない感情であることを知った。それを使っても自分が損なわれるわけではないと分かったからだ。

 怒りの渦中から立ち戻ったとき、私はNo Man's Landに、私の道具入れに取り込み終えた「怒り」の代わりに、何か別のものを置いたと実感した。

 それこそが、「怒り」という贈与への返礼だった。

 気がつくと、私の前には暗黒のような深い穴があって、その果て、その底には、動かぬ真実が置かれているように思われた。

 暗黒の穴は、私の出すどのような答えに対しても決して「是」と言わず、それどころか、答えが私の口から発せられようとするや否や、さささ...と逃走する。掴み所がないのだった。

 手応えのない修行。

 けれど、どれほど失望の回数を重ねても、それでも必ず「是」はある、という確信は、幸い私の中から消えることはなかった。いつの瞬間か、必ず必ずそこに手を伸ばして触れることができるに違いないと想い続けた。

 暗黒を提供したものは師である。

 師は、家であり土地であった。

 師は際限のない、問いのかたまりと見えたが、それはただ、私自身が反映していた故に暗黒を深め続けていったのだと、長じてからやっと分かる。

 その暗さと深さは、私の推量によるものでも、あるいは師本来のものでもなく、ただ、私という存在の可能性の総量だったのだ。私の前に広がっていた暗黒は、私の想像力の大きさまるごとに深いのだった。

 

 私の家や町は、ただ私から、師というその役割を振られたに過ぎない。

 奥行きのない絵画が、見る側の想像力によって遙か彼方にまで広がりを持つときのように、対象は主体の写し鏡だ。

    

 私がその暗黒の役割を家に割り振ったのは、私がその家の子どもであるという確信からだ。唯一無二。他の誰にも代替できない、ただひとりの「娘」としてそこに在ることは絶対のように思えた。

 家の空気は、時として、私とは全く異質なものになった。

 その上ヒステリックに「否、否、否」と私を追い詰めるので、困り果てた挙げ句の行為が、その「否」の由来、理由を問い続けることだった。

 「是」が出るまで、是非ともガンバラナイトナリマセン。

 

 師が私に求める仕草は、いつまでも私に理解不能な暗黒だった。

 しかし、成長するには理解不能であることが何より重要だったのだ。

 理解への渇望によってかき立てられた想像力は、どこまでも私の可能性を押し広げ続ける。

 

 広げ続けてついに、私は思いもよらなかった場所、ノーマンズランドに立ち至った。

 誰の土地でもないその地の、誰のものでもない広場の真ん中に、先人が残してくれた素敵な贈り物が置いてある。

 その贈り物を手に取り、陽にかざして眺め、その使い方を考えている。

露出について

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 30数年前、カリフォルニアで夏の学生ホームステイをしたときのこと。

 厳格なホームステイ先のお母さんは、現地の少女たちがタンクトップやキャミソールを着るのを嘆いていた。日本人のあなたは、ぜひそのような露出過多の下品な格好はしないで頂きたい、と彼女は言うのであった。

 そのホームステイは、各国の青年が集まる主旨のものだったので、同じ地区にフランス人の少年・少女たちもいた。同年代のフランス女は、超ビキニの水着でプールサイドを占拠し、ステイ先のおじさまを籠絡せんとばかりの妖艶さ。

 一方の私達、日本の女学生は白いワンピか何かを絶対脱がず、日本人は肌を見せませんのよ、伝統的に...など、イスラム圏の女性のようなことを言った。じつは、フランス女に競べての、自分の貧弱な体型にうんざりしていたのだったが...。

 肌を出す、ことについて、最近は日本の女子も大胆である。

趣味かと思われるほどの露出過多。

 しかし、肌を出すからにはダイエットやエステを経た、美しい自分を露出したい、という意識はある。ありのままの、むき出しではない。

 海外の、女性シンガー、どちらかというとソウル、ゴスペルなどパワフル系の方々は、体重が100kgを超えていても、露出する。当たり前でしょ、と言わんばかりに、段々になった身体をゆさゆさ揺すって歌う。

おっぱいだって、先っぽ以外は見えてもぜんぜん大丈夫!という意識か。たっぷりである。

 私達は、あらかじめ包んである肉体の一部を出す、と考える。

 彼女たちは、裸が基本で、これを幾分包む、と考える。

 

 私達は、着物から首や手足が出る、と考える。

 彼女たちは、身体があり、それを隠す布がある、と考える。

井の頭公園の樹

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吉祥寺は都民に大人気で、住んでみたい街ナンバーワンだそうだ。
きのうあまりにもお天気が良かったので、バスを乗り継いで、吉祥寺まで散歩に行った。
はじめは南口の公園付近で、アジアン雑貨やインド服を見る。
こんなにたくさん仕入れるんだなぁ、「この棚全部」って風に買うのかなぁ、と思いたくなる山盛りな品揃えのインド服屋さんで、ふわふわの生地のペイズリー柄のブラウスを買った。
それから公園に入り、池の畔のベンチで蚊の襲来を怖れながら読書。
「悪党的思考」という、日本中世以来の歴史を読み解いた中沢先生の本。
中沢先生の本は、難しいが、いったんは入り込むと脳みそが喜ぶ。
しかし、昨日は、読書よりも池の周囲の桜や紅葉の木の生え方が気になって仕方なく、ついに本を置き、メモ帳を取り出してスケッチした。
池の畔の木は全部、池に向かって身投げしているのである。
おそらくは、陽を遮るものがなく、水の照り返しもあるために、とりわけ明るい池の中央に向かって、幹や枝がどんどん伸びるからだと思われるが、後先考えないこの「伸び放題」のために支えきれなくなって、池にぼっちゃんと浸かりそうな枝には、木を組んだ台をあてがって、水没するのを防いでやっている。
大変な手間だろう。水の中に杭を打ち、その上に木を渡し、枝を支えるのである。
しかし、幹はそんなことお構いなし。
だいたい、一度だって真っ直ぐに伸びようと試みたためしがない様相だ。
土から出たそこからもう、女が男の足にすがる時みたいに、土すれすれを水に向かって水平に伸びているのだ。
「ふーーむ」と思う。
伸びたい方に伸びるのだな、木というものは。
誰が矯正しなくても、陽のある方に勝手にどんどこ伸びるのだ。
木は、志高く、真っ直ぐに空に向かって伸びるものだとばかり思っていた私は、この「ご馳走のある方にしどけなく倒れかかる」ことに決定した木の風情に心打たれた。
生命は、かくあるべし。  

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