「勉強しろと子どもに言う親は、自分が勉強嫌いである」という説があるらしい。
すごく納得。
私は勉強が好きなせいか(学校の勉強という意味ではないが)、子どもたちに「勉強しろ」と一度も言わなかったみたいだ。
言われた記憶がないと証言していた。
私の兄弟は親の言いつけで医学部だったが、どうやら幸せではなかったみたいだ。
それもあって、何となく自分の子どもは程々で良いと考えた。
でも長女と長男はせっせと勉強してそれなりの大学に合格した。
次女は学校には適さなかったけれど、仕事では良く勉強して、色々資格を取ったり、接客コンテストで日本一になったりしている。
ボーカル教室では、勉強をにおわせることは、たとえ小出しにしたとしても、必ず生徒の溜息を招く。
顔を曇らせて「難しい」と言う。
でも、そう簡単に「難しい」と言うな、と思う。
私のレッスンではなるべく、ここでしか訊けないことを伝えてあげたいと思うので、中身が高度だ。
でも、家でもできるようなルーティンをやっては、時間とお金がもったいない気がする。
それでもレッスンに、「練習機会」を望む考えもある。
理論みたいなことを少しでも出すと、ずずーーっとみんなが引いて行くのが分かる。
理論というより、楽譜を参考に、少しでも感じていることの後付けができれば良い、という程度のことでしかないのだけれどね。
私自身も、歌に必要以上な理論は逆に邪魔かも、と感じているし、そんなに詳しくもないし。
ジャズは難しいからア・ピールできないと考える人たちもいる。
もっと、一般の人たちにも分かるような曲をやった方が良いとか言われることもある。
でもそれだと、何もかもが同じ様なものになりはしないかな。
ジャズの隆盛を願う声も聞くけれど、残念ながら、これは流行ものではない気がする。
いつも言うように、「基礎研究部門」であり、幾分ハイカルチャーである。
だから、難しいものなのよ。
色々勉強しないと理解できないし、楽しめないし、演奏する側としても理想は叶わない。
勉強というと堅苦しいけれど、それは言い換えると上手にやるための工夫であり、それに至るための分析や点検ということ。
おいしい料理を食べたい人は、お取り寄せとか、調味料の研究とか、道具の知識とか、色々なことに食指を伸ばすはず。
それと同じことをすれば良いのだけれど、音楽はやはり、ある程度専門的な指導にしたがわないと、方法が見えにくい。
勉強は、そのテーマを面白いと思って、燃えている人に直接習うと楽しい。
最近は、それが少しずつ浸透してきている気がする。
私は生徒にも「勉強しろ」とは言えない。
それは、やりたい人だけがすることだから。
ただ、やれば楽しいと、その体験を感じ取ってもらいたいなぁと、切に願うだけだ。
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