団結できない

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心理学の難しい本を読んでいて、その端書きに、心理学者が連帯できない旨が書かれてあった。連帯して臨床心理士の地位確立などに努めねばならないが...。
ならないが、しかしできない。
それは「団結」である。

そう言えば、ジャズミュージシャンも、見事なばかりに団結できない人たちである。
人の悪口を言う。
下手だとか趣味が悪いとか精神性がないとか。
では、仲間意識はないのかというと、ある。
彼らには人は二種類しかない。
ジャズをやる人と聴く人。
ジャズに関わらない人々のことは、そもそも眼中にない。

心理学者も似てるなぁ、と思った。
臨床家と研究者は仲が良くない。
そして、彼らの考える人々というものは、心理学関係者かクライアント。
それ以外の人々については、ざっくりしている。

いずれも、決して団結できない人たち。
そして、団結できないのが個性みたいなふたつの団体に足を踏み入れている私。
イヤなニンゲンだろうか。

音楽でも、団結する方向の人々はいる。
クラシックの人々はすごく助け合う。
リサイタルにはお互いに顔を出すし。
お花を贈ったり、チケットさばくの手伝ったり。
合唱団とかオーケストラとかは、団体で動く上にそのまとまりみたいな協会なんかもしっかり組織されている。

ジャズは絶対つるまない。
人のライブにはめったに行かない。
行って、ただ聴いて帰るだけというのは、ちょっと嫌みな感じ。
偵察か?
でも、行って進んでシットインして、めちゃくちゃにするひどい人もいたりして。
まるで闘いだ。

つるまないのは、同類にこだわるから。
その「ここからそっち」は我が領域ではない、みたいな潔癖感はすごい。
微細であるが故に、外部からは違いが全然分からなかったりする。
でも、当人たちにとっては「自明の差異」があるのだろう。

多分、心理学の治療技法なんかもそうなんだろうな。
理論が違う、技法が違う、派閥が違うとか。
でも、きっとそれは、「人間のひとりずつについて潔癖」であるためなのだ。
自分だけではなく他人も含めて、ひとりずつの違いを感じ取るセンサーが強い。

もうひとつ。
団結できないのは、肩書きとかで生きていないからかも知れない。
肩書きがついちゃうと、それ以外のことに不自由だから、アメーバみたいでいないとさ。
その自由さが、革新する時に何より大切だから。

でも実際、つき合い辛いよ。
安心感はない。
ものすごく率直だし、黙って軽蔑して離れていっちゃったりする人たちなんだ。

そういう私は、幼い頃から集団行動が苦手である。
行列とか常連とかも、とてもとても苦手である。
誰かに合わせたり、気を使ったりするのがど下手である。

たいてい、一人勝手にうろうろするのが好きである。
ひとりで決めて、ひとりで進めるのも好きである。
だからこうなんだけど。

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このページは、kyokotadaが2013年6月19日 16:20に書いたブログ記事です。

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