選挙だな

user-pic
0
明日は参院選の投票日だ。
今回は、ネットでの選挙運動が始まった画期的な国政選挙。
参院選では、どの政党も知名度の高い人を出しがちなので、掲示を見るとテレビに出ていた人ばかりな感じだ。けれど、この度は、真剣に政治を考えている人が多い。つまり、かつての、まず当選して政党の頭数になって、それから勉強する、というのとは大分姿勢が変わっている。

候補者の姿勢が真剣にならざるを得ないのは、やはり原発の問題と憲法改正。
安倍総理は、戦争できる憲法に変えたがっいる、という論評をよく耳にする。
戦争をするとして、それは何を目的とするものなのだろうか。
地下資源とか?
つまり原発も憲法問題も、突き詰めれば「エネルギー資源問題」になる。
安部ちゃんは、私と同じ成蹊大学で、しかも学年が一つ上だから、数人の友達の中高の同級生に当たる。中高時代は結構いじられるキャラのおとなしい生徒だったそうだ。けれど、生まれ持っての運命は、彼を右傾化した政治家、しかも総理大臣にまでした。

FBで、日本国籍を持ちながら、海外にいる友達が、もっと国益を優先すべきだとしばしば書いている。国外にいると、日本の国力がそのまま彼らの身分に影響するそうだ。力のある国から来た、あるいはその国籍を持つ外国人は大切にされる。その逆は推して知るべし。

そのように、人の境遇によって憲法や国益に対する認識も異なるものなのだ。
おまけに世の中はものすごいスピードで変わり、かつての利益が、そのままの経路で回る保証すらなくなっている。

ただし、世界が平和であることが、もっとも大切だと思う。
紛争が多大なストレスと疲弊を生むことは誰もが知り尽くしている。
とにかく平和で、皆が人並みに暮らす環境となれば、継続的なケアや供給のあれこれの目途も立つ。

20世紀に世界戦争を繰り返して、原子力兵器や化学兵器も作ってみて、もはやそれはリスクが高すぎることに気づいているはずではないか。だからといって、その事実がそのままの思想で継承される保証はない。そこに行き着いた過程、その思想は、必ず世代とともに薄れていく。だから知っている者たちが、何度も言い継ぎ、再認識していかなくてはならないのだが。

次々と、過去を知らない子供たちが生まれ育つ。
彼らの多くがリターンを重んじて、リスクマネジメントに思い至らないとすれば、その数が半分より多くなった途端に、過去と同じ種類の間違いが繰り返される。

人は入れ替わり、忘れていく。
それどころか、忘れる以前に知らなかったりする。
そのことを、私はもう一度思い出さなくてはならない。
子供たちに、孫たちに、人のしてきた愚かなことを、語り継ぐこと。
世界がどれほどのスピードで変わるかを、語り継ぐこと。
そして、何より大切なのは、生命を守るために、不自然で過剰な文明を拒む感性を育むことだ。
テクノロジーの進化はそれとして、もっと自然の中に出かけて、ただの生き物としてある自身を感じることだろう。

どんな選挙結果になるのだろうか。
ここは、とても大きな分かれ目になる気がする。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://tadakyo.web5.jp/mt/mt-tb.cgi/421

コメントする

このブログ記事について

このページは、kyokotadaが2013年7月20日 13:40に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「私事が大事」です。

次のブログ記事は「問題はあるものじゃなく人が作るものなのか?」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。