問題はあるものじゃなく人が作るものなのか?

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憂鬱そうな顔をして愚痴ると、自分が阿呆になった気がしてくる。
そんなこと、解決できるんでしょ。
しないでいるだけでしょ。

何かを止めるとか、諦めるとかすれば、たいていのことはすっきりする。
私の悩みはいつも、「こうでありたいが、現実はそうなっていない」という内容だ。
それが他者にまで及ぶと、自分がとても残念な感じになる。
人は人なので、それが自分の子であろうが、私の思い通りにはならない。
決して。
だからその問題につきあうか否かは、自分が決めれば良いことだ。
つきあわないではいられない会社の同僚なんかだったら、それはもう我慢するしかない。
我慢するための楽しい方法を考える。

いつも問題は、作られる。
自分が作っている。
そして不満が顔に出る。
それに拘りたい、操作したい、不満をみんなに見せたい、不幸な境遇を理解してもらいたい。

不満と悩みは別物。
大変な事態が起きて、心が苛まれると病的になるから、それには正しいケアが必要だ。
けれど、事故とか、病気とか、避けがたい厄災以外の場合、たいていの不満は自分が作っている。

と、私は自分に言い聞かせている。
私の望み、私の理想、私の都合はいろいろあれど、現実の前では事実しか通用しない。
事実を以てして対処に当たり、無理なときは諦めるしかない。
そのことを、自分に言い聞かせる。
格好悪くても、自滅するよりはましだ、という時点で、無理は止める。
諦めるのは、素敵だよ。
何かを諦めると、いきなり、世界が広くなったりするのよ。

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このページは、kyokotadaが2013年7月21日 13:47に書いたブログ記事です。

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