新しい才能と居ること

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ジャズは難しい音楽だ。
自分でやっていながら、聴く人はどこまで楽しめているのだろうか、と時々不安になる。
けれど、ジャズミュージシャンは、どこまで行っても自分がすばらしいと信じるものを追求し、提示しなくてはならない。それが使命。コマーシャルなことをしようとするなら、ジャズを選んではいけない。

昨日は、私のレーベルで3枚のアルバムをリリースしている、Boys Trioのライブ収録の日だった。
番組は、NHK FMの「セッション2013」。
このトリオは、日本人によるトリオの最高峰と言っても良い。
石井彰(P)、金澤英明(B)、石若駿(Ds)、というメンバー。

この収録に、高校生やら大学生やら、若い才能が何人も見学に来ていた。
若い、というからには、20歳前後を指している。
ジャズは、最近天才少年少女たちを多く排出している。
中でも代表的な存在である石若駿は20歳、そして、先日テストレコーディングした石井彰の弟子、ピアノの高橋佑成は18歳。

彼らはまさに驚くばかりの技量と音楽的洗練を携えている。
けれど、今からが大切だ。
話してみると、まだ幼いし、世間的な事情にも無知。
音楽家にとって最も重要な人間観にも、まだまだ未熟を残している。
そのような年齢にあって、大人に才能を認められてしまう、というのは、実際、大変な事態なのだ。
善い人生にするのが難しい。

技量や演奏に対して、洗練のみを追うと小さくまとまってしまう。
だからといって、才能の大放出をすれば、軽薄のそしりを免れない。
どうやっても、逆の側面からの評価、批評が飛んでくる。
その中で、いたいけな彼らが自立するためには、彼らの才能を利用するのでなく、正しく加護し、伸ばそうとする確かな目線と力量が必要だ。

天才君たちにも自我があり、自意識があり、日によって変動する自信や自負や劣等意識もある。
それが、長い人生や、演奏家としての日々の中で、彼らや周囲にどのように作用するものなのかを、時々さりげなく知らせてやらなくてはならない。

何を聞いても感心し、もろに受け取り、考え抜く彼らだからこそ、周囲の大人はその才能を大切に扱わなくてはならないのだ。

才能は、しばしばお金に換算される。
営業目的に利用しようとするのは簡単なことだ。
使い捨てる勇気があれば、の話だが。
けれど、最も正しい意味で、才能は、人々の宝でもある。
その音楽を聴いて、至福に至る人々の宝である。
だから、私たちには節度と愛情が求められる。
周囲にいる大人として、私も自分を確かめながら、彼らと居なくてはならない。

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このページは、kyokotadaが2013年8月 8日 12:50に書いたブログ記事です。

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