家族と過ごす夏

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生まれ育った家は大家族だった。
祖父母、両親、子供三人、住み込みで働く人たち。
いつも10人くらいでご飯を食べていた。
都会ではなかなか無いが、今でも、テレビで田舎の家族の取材を見ると、そのくらいの人数がいる。

食事の用意だけでも大変だ。
だから主婦は、「家事」に対して誇りが持てる。

お盆帰省で子供たちが集まって、久々に料理の日々。
いざやってしまうと、それほど時間もかからないことに気づく。
みんなで食べると心から、家族だなぁ、という実感が沸く。
そして改めて思う。
私には、本当に、自分の家族が必要だったんだ、と。

大家族だった私の実家では、正直なところ居場所がなかった。
それは、昔ながらの家族形態であること以上に、人として共存できない者同士だったということがある。人としての種類が違うというか。
その孤独は、体験したことのない人には、どれほど説明しても分かってもらえることではない。
幸福な子供時代が書かれた物すら読みたくないほどに、子供時代の精神生活は悲惨で、孤独。
しかしそれは、巡り合わせというより他にない、ひとつの偶然だ。

ぐれるとか、荒れるとかいう選択もあったかも知れない。
でも、それは、気持ちに沿わないことだ。
私は争いごとが徹底的に嫌いだ。
躁鬱気質の人はそうなのだ。
争うと死にたくなる。
だから、いつまでも拘ったって仕方がない、と感じた。
私は新しく家族を作り、私が望む方法で子供を育ててみよう、と決心した。
幸運にも、私の子供たちは、私にとって少しのストレスもなく一緒に居られる大人たちに育ってくれた。
やっと、私の初めての「心の故郷」ができた。
いつもいつも一緒に居たいわけではないが、集えば必ず温かい気持ちになり、楽しい。
同じ物を同じく美味しいと感じ、同じくらい食べて満足し、少しだけ近況の報告をし合い、相談に乗ったり、感想を言い合ったり。
こんな家庭ができるなんて、何の保証もなかったのだから、挑戦といえば挑戦だった。
それが、幸運にも叶ったのだ。

張り切ってしまうような素敵な仕事のオファーが続くが、私は家族と居ると、本当に大切なのはこちらの方だなあ、と実感する。
その安心が、頑張った若い時代へのご褒美のように思える。

お盆に、まとまった休みを取って帰省してくれる子供たちに、感謝。
できるだけ長い間、これからも美味しいご飯を一緒に食べましょう。

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このページは、kyokotadaが2013年8月13日 16:53に書いたブログ記事です。

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