録音と絵は似ている

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youtubeを見ていると思わぬ掘り出し物に当たる。
フローラ・プリンとスタン・ゲッツという項目を見たら、とっても古いフランスのテレビ番組らしいスタジオで、若いフローラがギターを弾き語っている。そしてドラムがディジョネツト、ベースはビトウス。
何しろ音が良いのだ。録音の精度は悪いのだろうが、バランスがとても音楽的。
結局、良い音というのは、バランスに尽きるのかも知れない。
楽器によって、レンジが違うし、ダイナミクスも違う。
けれど、それが演奏する人たちのセンスによって絶妙にバランスされていると、聴く側はとても心地よくなる。
楽器のうまい下手には、アンサンブルのためのバランスを鋭く察知して、常に絶妙な音量を保つという技量も含まれているのだ。

その技量のことを考えていて、何かに似た感触だ、と思い出した。
それは、絵を描く、という行為。
色彩を使って描いていていると、色にそれぞれの明度、彩度があり、その組み合わせと各色の量を駆使して表現していることに気づく。

レコーディングした後のミックス作業も、同じようなセンスを使ってやっている感じだ。
録り音は絵の具に当たる。
素材としての録り音があり、それをミックスしたり配置して位相を作ったり。
作業を進めながら、こちらのほうが良いはず、と時系列でセレクトしていく。
その選択眼(この場合は選択耳)は、ほとんど今まで聴いてきた素敵な音源によって培われている。
良い印象を作り上げる工夫とともに、全体の整合性を保つ落としどころを決定する決断も大切。

たぶん、映像の編集も同じだろう。
言ってしまえば、小説の構成も。
つまりは、高い精度の素材をどのように扱うか。

と言うと、松岡正剛の「編集術」の思想に近くなっていくのかな。
自分の中にある、素材をどれだけ引っ張り出して表現するか、作品にできるか。
何に於いても、それこそが課題なんだな。

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このページは、kyokotadaが2013年8月22日 12:07に書いたブログ記事です。

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