歌手には種類があるらしい。
流行歌手とか、フォーク歌手、ジャズ歌手みたいに。
それは歌う曲のスタイルとかジャンルのこと。
加えて、その周囲に漂う世界観というものがある。
流行歌手は、レコードを売る、ヒット曲を出す、というのが大切。
だからいつも「よろしくお願いします」と頭を下げている。
かつて、ヒット曲を出すと、そのまま歌手として認知される時代があった。
しかしながら現在、歌手という存在はもっと複雑なことになっている。
だいいち、メジャーデビューとかいう、登竜門的なことが無意味になってきている。
昔ながらのスタイルのレコード歌手が存在できるのは、カラオケ文化の中だけで、シングル盤、カラオケスナック、カラオケ大会、NHKなどの歌番組あたり、ということになる。
私も一応歌い手だが、それらとは全く無縁で、経歴を見ても、活躍の場といえるのはライブハウスとスタジオくらいだ。
今は、音楽活動自体がバンドの時代で、個別の歌手、プレイヤーというより、バンドユニットで継続的な活動ができないとどうにもならない。
若者たちは、自分の好みに合ったバンドだけを聴きに出かけ、彼らから手売りのCDを買ったり、ダウンロードして楽しんでいる。
そういう、マスではなくファンに支えられているバンドが星の数ほどあり、奇特な人は海外からまで、そのようなインディーズバンドを招いて、インストアライブを企画したりもする。
私は、ジャズから始めてフュージョンに行き、そこでブルースやファンク、おまけにブラジルものにも興味を持ったので、いきおい、何でも歌う系の人になっている。
カラオケも歌う。
というか歌える。
さる偉いアレンジャーの先生に、歌謡曲を歌う練習を勧められたからだ。
歌唱力ってものは、そうやってつけるもんだ、と言われた。
確かに、簡単に歌えるものではなく、個別に歌い方やリズムの取り方を考え工夫してクリアしたことが多々ある。
あれこれ歌うと、一時的に自分に関して不明なことが出てくる。
私は何をやりたいのだろうか、というような疑問。
しかし、それにもめげず何にでもこだわりなく挑戦していると、やがて、自分の歌い方というものを自分が理解するようになってくる。
それは、ジャンルのもつそれらしさから脱却する、演奏上の自立みたいなことだ。
曲は自分の外側にあり、私が歌ったとき自分のものとなる。
その歌い方に関しては、バックにいるバンドのメンバー次第だ。
今年のバースデイライブは、フリージャズ、フュージョン、ファンク、シャンソン、タンゴと、各ジャンルからの強者が集まって、しかもあまり打ち合わせもせず、好きにやるという成り行きだったので、なおさら、自分でもどういう風に歌うのか、見当がつかなかった。
リハでは、みんな曲を探り探り、互いを探り探りで、かなりな不自由感に満ちていたのだが、本番となった途端、凄い音を出してくれて、びっくりしながら、ゴンゴン歌えた。
あれって何?
互いにびっくりしていたかも。
我ながら、これ、何の集まりだよ、と笑いたくなる集団で、凄くて、嬉しかった。
コンセプトとしては「ロマ楽団」だったのだが、そのままいけてた気もする。
歌うことで、自分を確立していくというのは、素晴らしい経験だ。
私は何でも、自分らしく歌う。
流行歌手とか、フォーク歌手、ジャズ歌手みたいに。
それは歌う曲のスタイルとかジャンルのこと。
加えて、その周囲に漂う世界観というものがある。
流行歌手は、レコードを売る、ヒット曲を出す、というのが大切。
だからいつも「よろしくお願いします」と頭を下げている。
かつて、ヒット曲を出すと、そのまま歌手として認知される時代があった。
しかしながら現在、歌手という存在はもっと複雑なことになっている。
だいいち、メジャーデビューとかいう、登竜門的なことが無意味になってきている。
昔ながらのスタイルのレコード歌手が存在できるのは、カラオケ文化の中だけで、シングル盤、カラオケスナック、カラオケ大会、NHKなどの歌番組あたり、ということになる。
私も一応歌い手だが、それらとは全く無縁で、経歴を見ても、活躍の場といえるのはライブハウスとスタジオくらいだ。
今は、音楽活動自体がバンドの時代で、個別の歌手、プレイヤーというより、バンドユニットで継続的な活動ができないとどうにもならない。
若者たちは、自分の好みに合ったバンドだけを聴きに出かけ、彼らから手売りのCDを買ったり、ダウンロードして楽しんでいる。
そういう、マスではなくファンに支えられているバンドが星の数ほどあり、奇特な人は海外からまで、そのようなインディーズバンドを招いて、インストアライブを企画したりもする。
私は、ジャズから始めてフュージョンに行き、そこでブルースやファンク、おまけにブラジルものにも興味を持ったので、いきおい、何でも歌う系の人になっている。
カラオケも歌う。
というか歌える。
さる偉いアレンジャーの先生に、歌謡曲を歌う練習を勧められたからだ。
歌唱力ってものは、そうやってつけるもんだ、と言われた。
確かに、簡単に歌えるものではなく、個別に歌い方やリズムの取り方を考え工夫してクリアしたことが多々ある。
あれこれ歌うと、一時的に自分に関して不明なことが出てくる。
私は何をやりたいのだろうか、というような疑問。
しかし、それにもめげず何にでもこだわりなく挑戦していると、やがて、自分の歌い方というものを自分が理解するようになってくる。
それは、ジャンルのもつそれらしさから脱却する、演奏上の自立みたいなことだ。
曲は自分の外側にあり、私が歌ったとき自分のものとなる。
その歌い方に関しては、バックにいるバンドのメンバー次第だ。
今年のバースデイライブは、フリージャズ、フュージョン、ファンク、シャンソン、タンゴと、各ジャンルからの強者が集まって、しかもあまり打ち合わせもせず、好きにやるという成り行きだったので、なおさら、自分でもどういう風に歌うのか、見当がつかなかった。
リハでは、みんな曲を探り探り、互いを探り探りで、かなりな不自由感に満ちていたのだが、本番となった途端、凄い音を出してくれて、びっくりしながら、ゴンゴン歌えた。
あれって何?
互いにびっくりしていたかも。
我ながら、これ、何の集まりだよ、と笑いたくなる集団で、凄くて、嬉しかった。
コンセプトとしては「ロマ楽団」だったのだが、そのままいけてた気もする。
歌うことで、自分を確立していくというのは、素晴らしい経験だ。
私は何でも、自分らしく歌う。
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