おかまな需要

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テレビを見ていると、出演者として男性タレント、女性タレントとおかまさんが居る。
必ず居る。
もう慣れっこになってしまって、特に気にしていなかったが、ふと、この人たちが必要な今の日本、ということなのかな、と気づいた。
男でも、女でもない、別の人格。
日本の人たちは、それをとても必要としている。

おかまな方たちを見ていると皆さん、女性もしないような、過剰に装飾的な服装と化粧をしている。
過剰にしないと男に見えちゃうからだろうか。
しゃべり方は、今までも、これからも、女性でもしないと思われる、独特な粘っい「お姐ことば」。
そして、その言葉遣いで、男や女が口にすると差し障りがありそうなことを語る。

つまり、ジェンダーによる社会性を逸脱した場所からの発言。
それだけ、ジェンダーが邪魔になる世の中。
男なら、学歴とか家柄で確実に差がつく収入や地位。
女なら、既婚か子供がいるかによって確実に異なる世界観。
それらをあからさまに口にすれば、口にした本人が責任を知らなくてはならないのだが、その不自由さを外野から救うのがお姐さんたちなのである。

大昔には、トリックスターとか、幇間とかがいて、あからさまな言葉でガス抜き役を果たしていたらしいが、それをお姐さんたちが受け持っている。

男の甲斐性とか、女らしさとかの外にある、人間としてのあからさまな存在価値について、あけすけに語る資格があるのは、いまやおかまのお姉さんたちだけなのかも知れない。
今の社会は、人格個別の様々な個性や違いを相対化しなくてはいけないような風潮になっている。

でも、私は、離婚しなかったことや子供たちを育て上げたことや良い仕事を確立したことを、ちょっと自慢したい気持ちもある。
すっごく頑張ったんだよ、と。

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このページは、kyokotadaが2013年9月25日 13:30に書いたブログ記事です。

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