静かな秋の日

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静かだなぁ、と思う。
子育て中などは、静かな時間なんてなかった。
今は、夫婦二人だけで、一方が留守だと本当に一人きりだ。

こうなるとテレビの番組も静かなものばかり選ぶ。
映画とか、自然ものとか。
そして、ボーッとしている。

散歩に出て、15分くらいの距離にあるモールへ出かけ、うろうろして来る。
歩きだとあまり沢山の買い物はできない。
パンとコーヒーくらい。

そしてまた、古いものを捨てる算段をしたり、ベランダから空を見たりする。
私の人生は忙しかったなぁ。
客観的に見て、色々しんどかった。
あれは何だったんだろう。
本当にあれだけのことをしたのだろうか。

振り返ると、まるで自分のしてきたことが信じられない。
そんなに沢山のことを、どうやってこなしていたのだろうか。
そして、疲労困憊から遙か離れた今があり。

人の器ということを考える。
私たちのような、支持者の必要な仕事では、その数が目に見える。
ライブに来て頂くお客様、レッスンに来て頂く生徒さんたち。
どこかが増えると、別のどこかで減る。
つまりいつも一定数。
それが私の器かと思う。

じつは、私のことを遊びに誘ってくれる人は皆無に近い。
何人かのミュージシャンだけだ。
なるほど、私は煙たい人かも知れない。
お酒が飲めないし。

ひとりでボーッとする。
その姿は、若い頃には想像もできなかったものだ。
この私がボーッとするなんて。

でも、そうできるようになってからの方が、歌が良くなったと思う。
力を抜くということは、力み返って後に、すっと分かることらしい。
緊張することと、集中することと、上がることの違いも分かってくる。
稽古の方法も分かってくる。

そして、少しずつ楽になり、楽なことを中心に密度を濃く、良い仕事をするように心がける。
年を取って手に入れるのは、元気の代わりに、そういう「渋い」余録なのかも知れない。

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このブログ記事について

このページは、kyokotadaが2013年10月 9日 13:11に書いたブログ記事です。

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