やりたいことをするには

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歌い始めた時から、曲を作りたいとは考えていた。ところがなかなかできなかった。どうやって書けば良いか分からなかったのと、理想が高すぎたこと。ギターを弾いていた時期もあって、フォーク的な曲はかけるけれど、3コードじゃ嫌だ、とか生意気にも考えていた。ピアノを弾くようにして、コードの勉強もしたけれど、それでもやはり楽器奏者ではないので、なかなか難しい。

作詞の方ならいくらでもやっていた。頼まれた詞が収録されたことも多々ある。作詞の通信教育の講師をしていたこともある。けれど、自分が歌う詞となるとなかなか難しい。特に、自分の曲に乗せるとなると...。それはつまり、「自分らしいのか、本音なのか」と言う点が気になっていたからだろう。自分であることは、私にとってはとても難しいことだった。いつも、誰かの気に入るようにしなくてはならないと、どこかで決めていたのかも知れず。

それがこの頃やっと自分で良いのだよ、と吹っ切れるようになった。
格好が悪かろうが、稚拙であろうが、ダサかろうが、私らしいなら、それで良いのだ。
自分を認めるのにやや60年近くかかった。
大変だったよ。

でも、一応間に合った。
死ぬ前に、私らしくなれて、あと何年生きるか知らないけれど、一応、私らしく色々作って行けそうだ。
そういうことって、「絶対に私らしくなってやる」と決めないと実現しないんだな。
誰かの顔色観てばかりいないぞ、とか、誰かのためにばかりやらないぞ、と決めないと、結果が出ない。つまり、先に決めてしまわなくてはならない。

決めても、焦っていた訳ではない。
いつかそうなるのかなぁ、駄目でもまぁしかたないかなぁ、と暢気にしていた。
けれど、決めていた。
結果はどうあれ、私は私だ、と決めていた。
そして、少しずつ実現した。
今は、頑張ると言うより、気持ちよくそれらに対することができるようにコーディネイトしている感じ。
ふわっと、楽しんで、進化できればベストだな。
辛いことは辛いときだけ。
辛いことなど無いときは、ちゃんと忘れて。

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このブログ記事について

このページは、kyokotadaが2013年11月12日 11:57に書いたブログ記事です。

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