前に進むばっかりで、振り返らなかったために、大量のゴミが溜まってしまったのだ。
古いファイルなど開くと、かつての「野心」みたいなものが出てきて笑ってしまう。
うーむ、これらのものをファイルして何かの役に立てよう、とか、いつかこれらを使うぞ、と思ったのだろうなぁ、と感心する。
自分に感心しても仕方ないのだが、例えば、あるファイルには、かつて誰かから借りてコピーしたらしいCDのジャケットとか歌詞カードのコピーがたくさん。
その中の曲を、いつか歌うかも知れない、と考えたのだろう。
今では、webに必ず落ちている「歌詞」は、かつてコピーしておかないとどうしようもないものだった。
スティング、ザ・バンド、ミニー・リパートン、ディオンヌ・ワーウィック...。
脈絡無く、なにやら本当に沢山。
そして、現在に至る間には、結局ライブで、なにひとつやっていない。
それどころか、聴きもしていない。
何をしたかというと、ブラジルものに興味が湧いて、そちらの曲を覚えたり、その後はまたスタンダードに戻って、アレンジに凝ってみたり、さらにはオリジナル制作に時間を割いていた。
あの時は、「いい!」と思った曲を、いちいちレパートリーにするつもりで、せっせとコピーしてファイルにしたのだ。
それは「野心」だろうな。
そしてどうもなっていない。
けれど、ファイルした時は嬉しかったはずだ。
実現したライブなんかを空想して「おっ、かっこいいぞ」とか、一人でニタニタしていたかも知れない。
幸せだな。
最近は、「野心」に気をつけている。
癖のように「野心」が、こんにちは、と出てきそうな時には、すかさず「自分の歳」を数えることにしている。「お前はいくつになったんだ?」。
で、答えは「そうですね、結構行ってましたね」である。
すると、良い具合に力が抜け、程良い安心感に包まれる。
もう、そんなに頑張らなくて良いんですよ、と自分に言ってやれる。
そして、次回は年齢相応のライブにしたいと思う。
自由で楽しい、自然体のライブ。
さっ、練習しよ。
せっかく取った年齢は、そのように役立てたいものだ。